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トルコ人若者の暮らし〜イスタンブール〜

  • 10.18.2023
  • トルコ Turkey

こんにちは、定住旅行家のERIKOです。トルコ最後の定住旅行地イスタンブールへやってきました。トルコの最大の商業都市であるここでは、弁護士として働く20代の若者の家に滞在させてもらっています。

バルカン半島最大の都市イスタンブール


イスタンブールは人口1,400万人が暮らす大都市。京都市とパートナーシティ提携、山口県下関市とは姉妹友好都市を結んでいたりと、本ともたくさんの繋がりがある町です。

イスタンブールの街はボスポラス海峡を挟んで、アナトリア側とヨーロッパ側にまたがっていますが、とにかく広い!東京やその近郊が地理的にコンパクトに思えるほどでした。私が滞在した7月は気温も30度前後とクーラーなしでは厳しい気候でした。観光地としても見所が多く、ヨーロッパ人(主にイタリア人、スペイン人)観光客の姿を多く見かけました。

都会で一人暮らしをするエブベキルさん


エブさん左奥、ウラシュさん左手前

エブベキルさんは、26歳の弁護士。彼は東部のエルズィンジャン県出身です。彼を紹介してくれたのは、共通の友人であるトルコ人のウラシュさん。エブさんとウラシュさんは、日本語学校のクラスメイトだったようです。エブさんも日本語が少し読み書きできます。

高校在学中から成績優秀だった彼は、ガラタサライ大学に入学。法学部で法律を学んだ後、弁護士免許を取得。弁護士としてトルコ大手のローエージェンシーで勤務していました。しかし、近年のトルコの経済悪化に伴い、現在はアメリカのローエージェンシーに転職。アメリカと遠隔で仕事をしており、就労時間もアメリカ時間に合わせた暮らしをしています。

エブさんのアパートがあるのは、イスタンブールのアナトリア側(トルコのアジア側)。3LDKのアパートの一部屋を友人に貸しながら生活しています。最初に勤めていた会社は、ヨーロッパサイドにあったため、毎日フェリーでボスポラス海峡を渡って通勤していたそうです。アナトリア側は、ヨーロッパ側と比べると比較的落ち着いた雰囲気で、定年退職者や低所得者が多いエリア。エブさんはビジネス街のように忙しい街が苦手だということで、あえてアナトリア側を住居に選んだそうです。


東京の代官山のような街「クズグンジュク」

アナトリア側にも、かつてユダヤ人やアルメニア人の居住区だったおしゃれな街「クズグンジュク」や、バーなどが密集した若者が集う「カドゥキョイ」と呼ばれる地区もあり、見所はたくさんあります。


日本が建設した海底トンネルを走るマルマライ地下鉄 運賃も日々値上がりしている
トルコはエルドアン大統領が再選した5月以降、通貨のトルコ・リラが急激に下落しました。物価は日々高騰し、インフレ率は7月で前年比の47.8%にまで上がりました。生活費が高騰し、人びとの日常生活は本当大変です。スーパーへ行くたびに商品の値段が上がっていたり、地下鉄の改札を通ると、前日の倍額の料金を引かれたりと、人生で初めてインフレの凄さを体験しています。
エブさんは現在暮らすアパートを数年前から借りており、今のところ家賃の値上げはされていないそうですが、マンションやアパートの賃料は去年の2~10倍にもなっているようです。

トルコ・シリア地震のボランティア


2023年の2月6日に発生したトルコ・シリア地震。マグニチュード7.8という大地震により、6万人以上の命が奪われました。実際は単純な数字では捉えきれないほどの悲しみや混乱、苦しみがあることを想像しなければならないと思います。
エブさんの出身地エルズィンジャン県は、かつて1939年にM7.8の大地震が起った場所。今回の地震は他人事とは思えなかったそうです。地震発生から2ヶ月にボランティアとして被災地へ向かいました。

「職場の同僚にもこの地域に親戚、家族、友人がいる人がほどんどで、地震後は皆んな仕事に手がつかないほど落ち込んでいました。すぐにでも助けに駆けつけたい気持ちがありましたが、地震発生直後はでボランティアが詰めかけ混乱し、政府がボランティアを一時禁止しました。僕は弁護士としてローエージェンシーで働いていましたが、こうした緊急のとき、自分がこれまで勉強してきたことが、こんな大事なときに何も役に立たないことで、初めて法律を学んできたことは何だったのだろう、と少し後悔のような気持が湧き上がりました」

エブさんは2ヶ月後に若者の弁護士仲間20人と、イスタンブール弁護士協会のボランティアに参加し、1番大きな被害を被ったハッタイという町へ1週間のボランティアへ行きました。またハッタイ以外にも、被害にあった全ての街を訪ねて、その状況を見たそうです。


山積みの建設に関するファイルを整理する

彼らは壊れた建物が撤去される前に、どのように崩壊したか記録をつける作業や、瓦礫の中から建築資料を集め、ファイリングする作業を行いました。それらは建設途中で施工不良や建築工事の欠陥などがなかったかなどと後々確認できるもので、一部の人たちは責任を逃れるためにファイルを抹消しようとしたりしてるようだったとエブさん。

「地元の人からは、ファイル集めなんて良いから、自分たちのことを助けてくれなどとも言われました。僕たちも手を差し伸べたい気持ちが強かったのですが、やらなければならないこととの狭間で、皆んな涙を流しながら作業を進めていました」

現地での活動の最中、エブさんは被災した人びととたくさん話をして交流する機会があったようです。地震当日の出来事には、一人一人語り尽くせない物語があり、それに耳を傾けることで彼らの心が癒されていくことも感じたそうです。
家を失ったある女性は、ガンの手術で病院に入院している途中地震が起こり、たまたまお見舞いに来ていた娘とその女性が助かったのだそう。ただ、家にいた夫や兄弟、家族は瓦礫の中に消えて行きました。

ラマザン月に再びの被災地へ


ボランテイアを終えて再びイスタンブールに戻ったエブさんは、もう一度ボランティアに行くことを決意。弁護士仲間7人で友人、知人から寄付を募り、再びハッタイへ向かいました。

「ラマザン月はイスラム教徒にとって特別な月です。この時期にはバクラバというトルコの伝統的なお菓子を食べるのですが、僕たちはハッタイのお菓子屋さんでバクラバを100個購入し、現地の人たちに振る舞いました。
ある幼い男の子がバクラバを取りにやってきたときのことです。嬉しそうにバクラバをいくつかとったその子は、取り終えたあと、「そうだ僕の分だけだった」と、バクラバを皿に戻したそうです。彼は家族全員が地震で帰らぬ人となった子だったのです。そうした物語が一人一人にあるのです」

トルコ人は総じて、困った人たちに手を差し伸べることは当たり前という意識がある人たちです。
私も旅の途中(特に移動中)、困った時は誰にでも声をかければ、最後まで丁寧に解決してくれました。助けることが徳を積むからと言う宗教的概念や、自分も嬉しくなるからと言ったような奢りはなく、みんなで共に生きているという前提のようなものがそこにあるからだという気がしました。エブさんがボランティアをしたのもきっと、そのような感覚だったように思います。

 

震災の公共人類学―揺れとともに生きるトルコの人びと