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スペインにあるサムライの街、コリア・デル・リオ

こんにちは、モデル・定住旅行家のERIKOです。
2018年最後の定住旅行地、スペインに来ています。今年はスペイン・日本外交樹立150周年をお迎える年です。
ここスペインでは年間を通して、様々なイベントが活発に行われています。そして、今回の私の定住旅行も、その記念事業に認定して頂きました。


スパインの首都マドリッドに到着したのち向かったのは、通称”支倉常長の村”と呼ばれている、Coria del Río(コリアデルリオ)です。ここは、スペインの南アンダルシア地方セビージャから、南に12kmにある人口3万人の小さな村です。村には、コリア・デル・リオ川が流れていることからその名前がついています。
2013年6月14日には、皇太子殿下もこの村を訪問され、現地の方々と交流をされました。

支倉常長(はせくらつねなが)とは誰か?

       支倉らが着岸した河岸に、支倉常長の銅像がある。カルロス・デ・メサ公園

スパインの首都マドリッドに到着したのち向かったのは、通称”支倉常長の村”と呼ばれている、Coria del Río(コリアデルリオ)です。ここは、スペインの南アンダルシア地方セビージャから、南に12kmにある人口3万人の小さな村です。村には、コリア・デル・リオ川が流れていることからその名前がついています。

街のあちらこちらに日本のかけらが

コリアの街を歩いていると、様々なところに日本語標記の看板などが目に飛び込んで来ます。

コリアの人の人懐っこい性格もあるのか、歩いていると「私もハポンよ!だからあなたと遠い親戚ね」と声をかけてくれる人も。現在コリアには、約700人もの”ハポン”という姓を持つ人たちが暮らしています。
こちらは、マリア・ハポンさんのお店。

この人もハポン!

この人なんて、ホセ・ハポン・ハポンさん!

コリアで働く公務員の名刺には日本語も記載

中央:モデスト・ゴンザレス・マルケス市長 右:日本名誉領事ホセ・ハポン・セビージャ 左:コンチ・レネド副市長(日本文化部)また、市長さんや役場で働く方の名刺にも全て日本語で書かれています。

学校教育でも支倉を

コリアの人たちは”Hasekura”と聞くと、再生ボタンを押されたかのように、コリアと支倉にまつわる歴史を語り出します。その度につくづくよく知っているなぁと思うのですが、学校でも支倉や使節団のことを先生たちが子どもたちに伝えています。地域の歴史を子どもたちへ教えていくことは、アイデンティティ教育にも役立つのではないかと思います。

村にはいくつかの学校がありますが、ヴィセンテ・ネリア学校には、2013年皇太子様がスペインを訪問された際に訪れた場所で、学校の掲示板には写真が飾られています。

クラスで日本のことについてお話しをさせてもらっていると、生徒たちから、「コリアには、昔支倉常長という侍が来たんだよ!」と話してくれました。子どもたちの世代にも、日本との歴史がしっかり伝わっているんだなと非常に感心しました。

ルイス・ロサーノ・ブエノ校長先生
鳥取県の写真を寄贈させてもらいました。

滞在中、新しい日本語表記のプレートがつけられる事に。式典に参加させて頂きました。

聖母エストレージャ教会

街の中心部にあるエストレージャ教会。エストレージャは、コリアの日本人の子孫と思われるカタリーナ・ハポンという名が記された、貴重な洗礼台帳が残っています。

今回、特別に台帳見せて頂きましたが、これが発見されてから数多くの人たちが触れるようになり、保存状態が悪化しているため、もうすぐ非公開にしようとしているところだと伺いました。

超アナログ式宣伝マン

コリアの街では毎日必ず出会う人がいます。それが、こちらの”Hombre de Anuncio”宣伝する男。スピーカー付きのたくさんのチラシやビラが貼られた台車を押しながら、村の人たちにイベントなどを告知して回る人です。かなりアナログ的ですが、小さな村ではどこかにポスターを貼るより、直接コミュニケーションが取れる宣伝マンの方が宣伝効果は抜群でしょう!

400年前に慶長使節団が到着した河岸

支倉らが着岸したコリア・デル・リオ=コリア川。400年前にこの川からサムライたちがやってきたかと思うと感慨深いです。

カルロスメサ公園内には、使節団をモチーフにしたタイル画や、山岡キヨシさんがデザインした社が設置されています。

ハポンさんたちは、”ハポン”という姓を持っていても、正直、日本人の血が混ざっているかと言われれば、疑ってしまうほどスペイン人の顔立ちをしています。しかし、このハポンという姓を持つことで、日本との間に新たな友情や交流が生まれ、お互いを強く思う気持ちを生み出していることは確かであり、それで十分ではないかと思うのです。