自給自足の五島の暮らし
こんにちは、モデル・定住旅行家のERIKOです。
今回滞在させてもらった家は、中通島の北部、奈摩湾が見渡せる丘の上にある古田さんのお宅です。3世帯10人家族が暮らす古田家では、製塩、畑、漁師をされており、子どもを除いてほぼ全員自営業を営んでいます。
奈摩湾が見渡せるお家
今から200年前、長崎の大村藩から、当時禁止されていたキリスト教の信者たちが五島藩に向けて、開拓移民として多く移住しました。移住者たちは、先住者たちから離れた不便な入り江や、山の斜面に家を構えたのです。古田さんのお家もその一つです。
近所も海辺の仏教集落のように密集しておらず、一軒一軒が孤立したように存在しています。家はからは毎晩夕日が海に沈むのが見え、この時期は夜になると段々畑を蛍が照らします。
カニが散歩する畑
古田さんの家の広い畑。昔ここへ移住し、何もなかった場所を開墾したことを想像すると、相当な苦労をされたのではないかと思います。
赤土の畑では、サツマイモ、サンジュウマルと呼ばれる品種のジャガイモ、とうもろこし、人参、玉ねぎ、ジャンボにんにく、落花生などの様々な野菜が栽培されており、スーパーで野菜類を購入することは滅多にありません。畑全体は漁業に使われるネットで覆われていますが、それはイノシシから農作物を守るためです。
古田家には4匹のヤギが飼われていますが、彼らは雑草を食べてくれるのに役立っているそう。このヤギを飼う習慣は、昔からカトリック信者の人たちが持っているのだそうで、昔はヤギの肉もよく食べていたのだそう。
畑を歩いていると遭遇するのが、カニ。川や海にいるはずのカニがなぜか畑にたくさんいるんです。水が豊富な証拠ですが、やはり畑にカニは不思議な光景。
これからの季節は、あまーいスイカが採れるそうなのですが、魚を肥料に使うと甘くなるのだそうです。
Photo:Kotaro Kikuta
家の敷地内には、古田さんが営む製塩場所があります。1日中、薪を絶やさず海水を焚き続けて塩を作りを行います。「冬場は天国だけど、夏は地獄だよ」と正人さん。
塩のことに無知な私でしたが、近頃はナトリウムを意図的に減らした塩が市場に出回っているそうです。それらは、食塩の味覚を持ちながら塩化カリウムを混合して塩化ナトリウムの比率を少なくしようとしたもので、メーカーによっては硫酸マグネシウムや炭酸マグネシウムなども加えて意図的に「調整」しているのだそう。
雪の結晶のような”あかねの塩”は、古田さんの娘さんの名前からとったもの。もちろん天然のお塩で、ミネラルもたくさん含まれていて、特に味噌や漬物などにはしっかりと味が染み込みます。全国各地から買い求める人たちがいる人気のお塩です。
私もすっかりあかねの塩のファンになり、リピーター確実となりました。
床が高いのはお米が取れなかったため
中通島に到着した時、島に立つ多くの家の床が妙に高いのが気になっていました。実はこれ、昔この地域でお米が取れなかったのが理由なのです。
キリシタンの人たちが移住したこの辺りの集落は、斜面地が多く、お米が作れず、サツマイモが主食でした。イモは1日3度、現在のお米のように食べられていたのです。
収穫されたイモは家屋の床下に掘られた広い「いもがま」に保存され、保存食として食されていました。そのため、床下にスペースが設けられているのです。
正人さんが子どもの頃、台風などの時は、このイモガマに隠れて嵐を凌いでいたのだそうです。何人もの人が入れるほどイモガマはとっても大きいのです。
絶品!カンコロ餅
サツマイモは水分が多いので、暑くても寒くても腐やすい食べ物です。1年中イモを食べるために薄切りにして乾燥させていました。その切り干しイモと、少しのもち米と合わせて作ったのが、「カンコロ餅」と呼ばれる五島の名物です。
家庭によって味が異なるそうですが、これが甘すぎず、サツマイモのまろやかな甘味ともっちりとした食感が病みつきにになります。
五島の地獄炊き
地獄のように炊き続けるためこの名前がつけられたそうです。うどんをあごだしと一緒に煮込み、そこに生卵、醤油、生生姜、ネギを加えてものをつけて食べます。
ちなみに、こんなに炊き続けたら、麺が伸びてしまう!と思ったのですが、こちらのうどんは藻塩を使用しているため、いくらうどんを煮詰めても伸びません。
五島というとうどんのイメージがありますが、実際にうどんを食べる文化は上五島で、下五島は団子文化と呼ばれていて、五島全体の食べ物というわけはではないそうです。
上五島にうどんが入ったきた歴史は、中国に遣わした船が帰国する時に最初の寄港地となり、うどんの製法を伝えた定説があるそうです。うどんには切れないように椿のオイルが塗ってあります。