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MAZDA自動車のシンボル?世界最古の宗教ゾロアスター教

こんにちは、モデル・定住旅行家のERIKOです。

イランや中東という言葉を聞くと、イスラム教のイメージが強く浮かぶと思います。私もイランへ来るまではそうでした。しかし、イランでの生活で、イランにはキリスト教やユダヤ教などの宗教も存在していると知りました。もちろん、公の場へ出るときは、どんな宗教の人でもイスラムの規則に従わなければなりませんが、それぞれの宗教の宗教行事などを行うことは認めらえています。イランには、この国が発祥地として有名な宗教があります。それが、ゾロアスター教と呼ばれる宗教です。

イランの国教であったゾロアスター教


イランの王政時代、ササーン朝という時代がありました。その時、イランが国教にしていた宗教が、ゾロアスター教です。ゾロアスター教は、日本では拝火教などとも呼ばれていますが、BC1500年~BC1000年頃に成立した古代の宗教で、開祖が明らかなものとしては世界最古と言われています。また、世界3大宗教(キリスト教、イスラム教、仏教)の源流となり、ユダヤ教や大乗仏教の成立にも大きな影響を与えました。

モーツアルトのザラストロのモデルとされた、最高神”アフラ=マズダ”

ゾロアスター教は、”ファラバハラ”と呼ばれる”アフラ・マズダ”を神とする一神教です。全てを司る最高神と言われ、古代インドの「ヴェーダ」において司法と水を司る神、ヴァルナと同根の神であったとも言われています。ニーチェのツァラトゥストラやモーツアルトのザラストロのモデルとされた人物だと言われています。

ゾロアスター教では、火・水・空気・土を神聖なものとして扱うため、土や空気を汚す土葬や火葬を禁じ、鳥葬という葬制をとっていたことでも有名です。

また、現在我々が目にするオリンピックの聖火は、ゾロアスター教の火を聖なるものとする習慣から来ているとされています。

マツダ自動車のシンボルはアフラ=マズダ?!


日本でもおなじみのマツダ自動車ですが、名前をよく見ると、その表記は「MATSUDA」ではなく、「MAZDA」となっていると言うことにお気づきでしょうか?

会社の名前とかけて、マズダ神を自動車文明のシンボルとし、自動車産業の光となることを願って名付けられたとも言われています。マツダ自動車のシンボルもゾロアスター教の翼のようなマークと似ており、全く無関係ではないような気がします。

また、昔東芝から発売されていた、「マツダ電球」というブランドも、この神からつけられたと言われています。

ゾロアスター教3つの基本思想


イランでは、すべての人が知っているくらい、有名なのがこの3つの基本思想です。

アンディシェニック=良い思考(中央)

ゴルタルニック=良い言葉(右の翼)

ケルドルニック=良き行い(左の翼)

この3つがゾロアスター教が大切にしている思想の柱です。


訪問させてもらった、ヤズドに住むゾロアスター教のファミリー

ゾロアスター教の信者曰く、「信仰心がある人と言うのは、毎日お祈りを捧げたり、宗教のルールを守ると言う表面的なことではなく、人に対して誠実であることや、強制することなく、人と協力して助け合うことのできる人だ」と話してくれました。

イスラム教のイランの人はゾロアスター教をどう思っているか?

さて、昔の国教だったとはいえ、現在イスラム化しているイランでは、人びとはゾロアスター教のことをどう思っているのでしょうか。

ムスリムのイラン人に「ゾロアスター教と言うとどんなイメージですか?」と聞くと、大抵の人が、「世界で一番美しい宗教」と答えます。ゾロアスター教徒が多く暮らすヤズドの人は、「誠実で嘘をつかない人」と言う印象まであるほどです。

私が出会ったイラン人は、ゾロアスター教に対してとてもいいイメージを持っており、それをどこかで自分たちの誇りとしているようにも感じました。

イスラム教は一度入信すると改宗は許されず、1つの神しか信じていませが、イランの人たちは、イスラム教以外の宗教の理解にとても寛容です。ちなみに、彼らの多くは「神様」と言うとき、アラビア語で神を意味する”アッラー”とは言わず、ペルシャ語の”ホダ”と言う言葉を使います。


テヘラン市内にある、”アララッツ”の入り口

イランには、キリスト教やユダヤ教なども存在すると書きましたが、首都テヘランには、”アララッツ”と呼ばれる、アルメニア教徒が生活する区域が存在しています。この敷地内は、アルメニア教徒しか入ることはできませんが、中ではヘジャブは身につける義務はなく、ワインショップやバー、豚肉が使われた料理を出すお店などが存在しています。

イランでは、イスラム教を国教としてはいるものの、他の宗教の存在も理解し、違う価値観と同居しながら、お互いにリスペクトし合っている生活を送っているように感じました。