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トゥルク族の伝統 夏の高原での暮らし

こんにちは、定住旅行家のERIKOです。トルコの東南部トゥンジェリ県のオバジック村から、さらに6km山奥に入った人里離れた土地に滞在しています。ムンズール山脈の麓に位置し、たくさんの水を湛えた川も流れている自然豊かな場所。ここでは先祖代々この家に暮らすトゥレメスさんの家に滞在しています。

夏は高原で家畜の世話をする家族

私がこの家に到着したとき、お父さんのハッサンと娘のエブルさん、息子のヨールダッシュさん、孫のギュネイ君しかいませんでした。話を聞くと、どうやらお母さんのメディネさんは、イスタンブールから帰省中の娘フスニエさんと高原にキャンプを張っているとのこと。
この家族は毎年夏の2ヶ月間、高原に羊を遊牧させていて、そこで生活をしているということでした。ということで、私も高原のキャンプの方へお邪魔させてもらうことに。

高原のキャンプ地までは家からトラクターでおよそ2時間。高原で必要な日用品や嗜好品などを積んで向かいました。ゴツゴツした岩道をゆっくりと上がっていきます。

到着した場所は、高い山に囲れた、平原にぽつりと3つのテントが張っているだけでした。まるでおとぎ話に出てきそうな風景に感嘆しつつも、便利な環境からかけ離れたこの土地での暮らしの大変さを想像しました。

家族最強の母メディナさん

トゥレメス家では、毎年夏になるとこの高原にキャンプを張り、2ヶ月間羊を放牧させながら、搾乳し、それをチーズにして売っています。いわば、この夏の時期は稼ぎとき。


トゥレメス一家の母メディナさん、70歳。夫のハッサンより10歳年下の彼女は、現役で高原での仕事に精を出しています。朝は誰よりも早く起きて、前日に絞った羊の乳を脱脂綿にとりわけ、水汲み、洗濯をし、朝ごはんの準備をします。
10リットルの水を両手に下げて山道を歩いたり、何十頭の羊の群れを率いて岩場を長距離で歩いたりと、男まさりでとてもパワフルな女性です。

あるとき、テントの中に大きなカナムシが!私がその様子を観察していると、隣にいた彼女が一瞬で足で踏み潰してしまいました。聞けば、ヘビが出ても踏み潰してしまうとのこと。この話でしばらく笑い転げました。



娘のフスニエさんは、幼い頃からヤイラ(高原)での仕事を手伝っており、夏の間はイスタンブールから帰省してメディナさんの仕事を手伝っています。地方に暮らすトルコの女性はエキュメック(パン)を焼く技術をほとんどの人が持っていて、彼女もいろんな種類のパンを巧みに焼いていました。

フスニエさんの娘スフラちゃん。お母さんが毎年帰省しているとのことで、2歳の頃から毎年ヤイラに来て、手伝いをしています。ここにはインターネットがないため、現代っ子にはなかなか辛いのではと思いますが、読書家の彼女はドストエフスキ、トルストイ、サルトルなどのお気に入りの本を持ち込んで読書を楽しんでいるようでした。
イスタンブールではキックボクシングをしているとのこと。滞在中に標高2,800mの山道を8時間歩いたのですが、疲れたと言いながらも最後まで歩き切ったのはさすがの体力です。

ヨールダッシュさん。トゥレメス家の長男。普段、村でも家畜の世話を主にしていて、高原では積極的に羊の仕事を担っています。

働くトルコの女性の味方!シャルバル


こちらは「シャルバル」と呼ばれるパンツ。トルコの田舎へ行くとほとんどの女性のユニフォームとなっています。軽くて風通しがよく、しゃがんだり立ったりが楽ちんで、汚れてもすぐ洗えてすぐ乾く、機能性抜群のまさに働く女性のためのパンツです。
頭に巻いているスカーフは、決して宗教的な意味合いで身につけているわけではありません。髪の毛が作業の邪魔にならないようにするためや、虫などから顔を守る役割を果たしています。


彼らの1日は羊を遊牧することからはじまります。アフガニスタンから出稼ぎに来ている男性が主にその役をつとめていて、日が登りはじめると同時に、囲いに入っている羊を率いて、山道を夕方まで歩き続けます。


お母さんのメディナさんは凝固しはじめているミルクを脱脂綿に移します。トルコの食卓に欠かせないチーズや乳製品。彼らがつくっているのはTulumトゥルムと呼ばれるフレッシュタイプのもの。搾乳してからチーズが完成するまではおよそ1ヶ月かかります。


娘のフスニエさんは朝ごはんの準備。薪を割って、火を起こしチャイを作ります。トルコ人はどんな場所でもこのチャイのヤカンとグラスは持っていくほど大事なのでしょう。


朝ごはんをしっかり食べたあとは、衣類の洗濯(手洗い)、テントの中の掃除、食器洗い、羊の囲いの掃除、薪割り、パンを焼きます。この場所には彼らが一時的にテントを張って暮らしている場所なため、お店もなければ水道も電気も通っていません。もちろんトイレもお風呂もないので、用は外で足し、身体はたまにお湯沸かして洗う程度です。

数キロ離れたご近所さんたち

この高原で羊の世話をする暮らしをしているのはこの家族だけでないと知ったのは、滞在中のときでした。近所の人に会いに行こうと誘われたので、気軽について行ってしまったのですが、標高2,800mの山道を炎天下の中歩き続け、知り合いのテントに到着したのは家を出て3時間後でした。


彼らもここで夏の時期だけ野営をし、羊や馬の世話に従事していました。普段、人の往来が少ないので、私たちの訪問をとても歓迎してくれました。


その後も別の場所で野営をしている家族をいくつか訪問しました。

この日は約8時間歩き続け、家に着いた頃にはヘトヘトになりましたが、家族はそれから羊の世話などをしていました。都会で鈍った体と基礎体力の違いを感じて情けない気持ちになりました。

暮らしを自分の手で紡ぐ

 

彼らの暮らしを体験していると、日常的に自分たちがどれだけ機械などのアウトソースしたものに頼っているのかを実感します。それが良い悪いではなく、自分たちの手であらゆる生活をこなすことは、精神を肥やすことでもあるんだと感じました。しっかり体を動かし、暗くなったら寝て、明るくなったら起きる。暮らしをしっかり行うことは、精神的なストレスや悩みを溜め込む隙を与えないことになるのだという気がします。
彼らのしっかりとした暮らしを体験して改めで考えさせられたのは、自分自身がやっているような旅や執筆したりすることは、余剰の上でしか成り立たないということ。それくらい、生活を自分たちの手で紡ぐことは忙しく、体力が必要なのです。

次世代の暮らしとは


フスニエさんは高原で羊を放牧する仕事は、私たちの代で終わるだろうと話してました。娘のスフラちゃんは毎年高原に足を運んでいますが、パンを焼いたり、羊の乳搾りを積極的にするわけではなく、技術を継承するような作業はしていませんでした。

普段イスタンブールの都会で暮らしているということもあり、彼女が大人になった時にはこのような伝統もなくなるのでは思います。こうしてトゥンジェリ県にある伝統的なトゥルクの暮らしも、ゆっくりと姿を変えていくのでしょう。

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