トルコで1番トルコらしい土地 トゥンジェリ県に暮らす家族
こんにちは、定住旅行家のERIKOです。トルコ定住旅行2箇所目の滞在地、アナトリア(トルコのアジア側)東南部に位置するトゥンジェリ県オバジック村からさらに6km離れた、ゴゼレル・コーリュという場所に来ています。
ここには家が3軒ほどしかなく、村ともいえない人里離れた土地です。
このトゥンジェリ県はトルコ人曰く、政府がほとんど開発に手をつけていない県で、トルコ国内で一番トルコらしい場所なのだそう。伝統的なトルコ(トゥルク)を知ることができる唯一残された土地とも言えるそうです。
アクセスが不便な未開発の土地
トゥンジェリ県には空港がなく、ここに来る前に滞在していたネブシェヒル(カッパドキア)からは、カイセリ→トゥンジェリ→オバジック村→ゴゼレル・コーリュを計18時間、全てバス移動しました。バスは満席の上、標高の高い場所を通ったせいか、車内の空気が非常に薄く息苦しかったです。一度ボリビアで、標高5,000mをバスで通過した際、気を失ったことがあり、その記憶が蘇り不安でしたが、車掌に無理矢理頼んで換気してもらったりして乗り切りました。笑
空港がないというアクセスの不便さや情報が少ないこともあり、このトゥンジェリ県はネットで調べても日本語の情報はほとんど出てきません。まさにトルコの秘境とも言える場所。トルコ人にトゥンジェリへ行くというと、「とても美しい場所だ」と口を揃えていうので国内では景勝地として知られているようです。実際たどり着いたお家は山々に囲まれた素晴らしい景色の場所です。
こちらはオヴァジック村にある、ムーンズール川。川沿いではキャンプ、カヌーなどのアクティビティや川沿いを散歩するコースなどもあります。外国人の姿は一度も見かけなかったのですが、トルコ人の観光客で賑わっていました。
村の暮らしを営むトゥレメス家
標高1,400m、人里離れた土地に代々暮らすトゥレメス一家は、家長のハッサン(85)、奥さんのメディネさん、そして4人の娘と息子の2人家族です。長男のヨールダッシュさんと末っ子のエブルさん以外はイスタンブールに暮らしており、この家に暮らしているのは実質4人です。
彼らの暮らす家は、この辺りの伝統的な石造りで、土壁、天井や内装は木材で支えられています。この家はお父さんのハッサンが建てた家。
「私の腰が曲がってしまったのは、この家を建てるために運んだ重たい石のせいだ」と話していました。去年発生した大地震の時も少しのダメージはあったそうですが、震源地から離れていたこともあり、家屋も問題なかったそうです。
部屋は3室、キッチン、トイレ、お風呂は玄関と同じ区画スペースにあり、部屋以外は土足です。床はコンクリートでその上に絨毯やキリムが轢かれています。掃除は毎日欠かさず、キッチンは床を水洗いし、部屋は絨毯の埃を念入りにケアーしていました。この家だけが掃除好きなのかと思っていましたが、だいたいのトルコ人は綺麗好きで、物が少なく、掃除は日課の一つと捉えているようでした。物を多く持たないのは、元々遊牧民だったトゥルクの人たちの習慣の一つかもしれません。
私が滞在したのは、7月の夏の時期で日差しは肌が焦げそうなほど強かったのですが、日陰は涼しく、家の中はエアコンがなくとも窓を開ければ快適に過ごすことができました。
イスラム教 アレヴィー派の一家
アナトリア東南部ではイスラム教のアレヴィー派という信仰を持つ人々がほとんどを占めており、トゥレメス家もその一家族です。トルコでは国民全体の20~30%を占めていると言われています。
アレヴィー派はイスラム教の一派ですが、イスラム以前のシャーマニズムの要素も持っています。12イマームは崇拝していますが、一夫多妻制やメッカ巡礼などは行わず、モスクも持ちません。日常生活でも礼拝は行わわない宗派です。これまで滞在していたトルコ人のほとんどの家にはメッカの写真やクルアーンがあり、礼拝をする姿をよく見かけていましたが、アレヴィー派のお家にはそういった宗教的なものを感じる機会は一度もありませんでした。
また彼らの共通言語は「ザザ語」。ザザ語はトルコ東部で使われているイラン語群の言語で、話者は150-200万人と少数言語の一つです。家では主にザザ語が日常会話に用いられていました。
経済悪化に伴う生活困の加速
トゥレメス家では牛一頭、馬一頭、羊、鶏、ネズミ取り兼ペットとしてマルティンという名前のネコを飼っています。小さな川を一本挟んだお向かいさんも、牛、ヤギなどの家畜を飼育しており、家畜を中心とした生活が営まれています。羊や牛の乳で作るチーズやヨーグルトを卸会社へ販売などして生計を立てています。畑で採れる以外のものは、村のスーパーで週に一度買い出しをしていますが、出費を抑えるため、パンなど手づくりできるもは手間がかかっても自分たちで自給していました。
家族曰く、「パンデミックと現政権のせいで経済が悪化した。私たちは家畜に依存しなければ収入だけで食べていくことは難しい。生まれてからずっと貧しさと戦ってきたが、心だけは満たされている」と話していました。
都会から里帰りする子どもたち
ハッサンとメディナさんには6人の子どもたちがあり、彼らのほとんどは首都のイスタンブールで暮らしています。学校が休みになる6月~8月には、毎年、次女のフスニエさんと彼女の息子ギュネイ君と娘のスフラちゃんが里帰りしてきます。私もタイミングよく彼らに会うことができました。ただ、夏の期間は羊を放牧させる時期でもあり、休暇というよりも労働のために戻ってきていると言えます。
家にはWifiがなく、携帯の電波も入りずらいので、友だちと連絡がとれなかったり、ネットが使え無いので、早くイスタンブールに帰りたいと駄々をこねている日もありましたが、家畜と自然の中で遊んだりして楽しく過ごしていました。