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前線をサポートする農場主

  • 11.29.2023
  • ウクライナ Ukraine
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こんにちは、定住旅行家のERIKOです。ザポリージャ州での滞在を終え、次に向かったのは中部のキロヴォフラード州。ここの州都も近年、名称がクロピヴニツキーКропивни́цькийというウクライナ語に変わりました。およそ20万人が暮らしている地域です。


ひまわりを収穫するゴーチャさんの農場のトラクター
この州も肥沃な黒土が豊富な穀倉地帯で、まさに農地の地平線が見渡せるパノラマです。
クロピヴニツキーでは、農場を経営されている、ゴーチャさんの農場に滞在させてもらいました。農場のある集落は、激しい過疎化による人口減少で、現在の住民は彼の会社で働く従業員が主です。


戦争に生きるゴーチャさんの人生

 

ゴーチャさんが生まれたのは、ジョージア西部のゴリという都市。私も以前、ジョージア滞在中に訪れたことがあります。古代住居跡のウプリスツィ洞窟住居跡があったり、雄大な自然を満喫できたりと見どころの多い街ですが、周辺国の人びとが真っ先にイメージするゴリは、独裁者スターリンの出身地であるかもしれません。

ゴーチャさんは19歳の時に国の徴兵義務を果たし、その後、アプハジア戦争、南オセチア戦争に就きました。ウクライナへ移住したのはソ連時代。「コルホーズ」と呼ばれる集団農場で働いていました。ソ連が崩壊した後、働き先がなくなったゴーチャさんは、このコルホーズの土地を自分で購入し、農場経営を始めました。ソ連時代も崩壊後も、当時は仕事を選んで働くという概念はなかったそうです。数年前に現役を引退され、会社は息子さんが継いでいます。

身体も大きく、迷彩の服を着ていて、強面な印象のゴーチャさんですが、笑うと「ジャムおじさん」みたいな顔になるのが印象的で、私の心の中ではジャムおじさんと呼んでいました。

2014年に起こったドンバス戦争ではウクライナ兵として戦地で戦ったのだそう。現在も時折前線に物資と届けに行ったりしています。人生のあるタイミングで戦争を経験する人はいるかもしれませんが、彼のように人生そのものが戦争に括られている人はあまりいないかもしれません。

2022年のロシア軍事侵攻をきっかけに奥さんと娘は国外に避難し、現在はオーストリアに暮らしているそうです。彼らがウクライナへ里帰りする機会はあまりないようですが、ゴーチャさんはたまに車で彼女たちに会いに行っているようでした。


農場から少し離れた場所には、ゴーチャさんが自ら作ったトーチカや避難基地がありました。もしもロシア軍が攻めてきたときのことを考えて準備しているのだそうです。

地下に生き、お祝いを自粛する


農場内にある地下の食糧保管庫
2022
2月にロシア侵攻がはじまった当初は、現在とは比較にならないほど攻撃が激しく、その当時は従業員たちと、農場にある地下の食糧保管室で寝泊まりや食事をしたりしていたのだそう。
この農場で働く従業員の中にも徴兵され、戦死したした人も数名いるそうです。

「戦争が始まってすべての暮らしが変わってしまったと思いますが、中でも大きな変化はなんですか?」と聞くと、「祝日や誕生日をお祝いをする頻度が減った」と。


個人的な感覚としては、女性より男性の方が、さまざまなライフイベントを自粛している人が多い気がします。それは戦地に就くのは圧倒的に男性が多いので、他人事には感じられないためかもしれません。
滞在中、ゴーチャさんの友人の誕生日会に招かれました。男性たちは乾杯の度に、戦地で戦う兵士たちに敬意を捧げていました。友人と会える喜びを噛み締めながらも、どこかで楽しむことを遠慮しているゴーチャさんの姿がありました。

語り合う食事の時間



ゴーチャさんはジョージア人ということもあり、食事はウクライナ料理ではなく、ジョージアのスパイスを使った料理を作ってくれていました。彼の身体に合わない狭いキッチンで、農場の菜園で採った野菜を使い、手際良く調理します。食事には息子さんが同席することもありましたが、基本的には私とゴーチャさん2人で夕食を食べていました。

食事中は、ロシア軍のこと、前線で何が行われているか、戦争というものについてなど、いろんな話をしてくれました。時には、前線で戦う兵士からビデオ電話がかかってきて、ゴーチャさんがアドバイスなどをする日もありました。

要請があると時々前線のサポートに行くゴーチャさん。ある日「本当は山の中の静かな小屋に住んで、鳥の声を聴きながら穏やかに暮らしたい」と語っていました。望めばそのような生活も夢ではないのに、どうして今のような活動を行っているかを尋ねると、「子どもの孫のためだ」と一言。「戦争は良いものではない」と言ったゴーチャさんの言葉は、ただの標語ではない深い意味を持って私に伝わりました。

彼のオフィスに飾ってある絵とイコン。私がぼーっと眺めていると、「私たちは神を信じているだけでなく、生きるためには狼にならなければいけません」とゴーチャさん。

兵士が暮らしていた部屋

こちらは私が滞在させてもらっていた部屋です。農場の敷地内にある寮で、元々は遠方から出稼ぎにくる労働者の宿泊場所だったそう。戦争が始まってからは、徴兵された兵士が戦地に就く前に、訓練を受ける際、寝泊まりする場所になったそうです。最近までこの部屋にいた男性は、現在前線に就いているとのことでした。部屋の雰囲気からか、なんだかそわそわして落ち着かず、デスクのライトをつけたまま寝ていましたが、ほとんど熟睡ができなかったです。

クロピヴニツキーは、前線のあるザポリージャとは比べ物にならないほど穏やかでした。農場のある村には空襲警報機もなかったので、サイレンで夜中に起こされたりすることもありませんでした。この頃には私も携帯の警報アプリをOFFにしていたので、時に戦地にいることを忘れるほどでした。報道で見ると、まるで激しい攻撃がウクライナ全土で行われているようなイメージを持ってしまいがちでしたが、これも実際に来てみなければわからないことの一つでした。

 

◎物語ウクライナの歴史 ヨーロッパ最後の大国