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ウクライナの農地で働く

こんにちは、定住旅行家のERIKOです。ウクライナの東南部ザポリージャ州に滞在しています。夏から秋へと移ろう季節、気温は日中は27度くらいでうが、朝と夜は冷え込むようになりました。

20239月現在、ザポリージャの中南部は前線で戦闘が活発に行われています。戦争中といえど、人びとはシェルターに隠れて生活しているわけでなく、日常生活を送りながら、食べるために働かなくてはなりません。戦争前後で現地の人の働き方も大きく変化しているようです。


就労人口の5分の1が農業に従事


ウクライナは欧州の「穀倉地帯」と言われるほど、農業に適した気候や水資源があります。国土の71%が農地(出典:2020worldbank.org)で、就労人口の5人に1人が農業に従事しています。ウクライナを旅していると、平原とひまわり畑、小麦畑の風景が変わるがわる目に飛び込んできます。晴天の青い空の下ではまさにウクライナの国旗を見ているような風景です。


バディムさんはザポリージャ市の郊外ナタリフカで、父親から継いだ農地を経営しています。家から農地までは車で40分。朝は6時に家を出て、夜20時頃に農地を出る生活を送っています。戦争前、日曜日は休暇をとっていたようですが、今は1年に一度、11日を休みにしているそうです。ザポリージャでは、戦争の影響でおよそ80万人いた人口は、疎開や徴兵などで60万人まで減っているそうです。
農業は食糧確保に直結する仕事などで、徴兵されにくい職業だそうですが、それでも農地では人手不足が加速しています。現在バディムさんの農地では20人が働いています。

 

ロシア軍に占領されて避難したジマくん

9月は収穫時期。私が到着した頃は、小麦の収穫は終わり、ひまわりなどの収穫が始まっていたところでした。ウクライナはひまわり油の生産量世界1位、トウモロコシ、大麦は世界3位、小麦は6位。190カ国へ輸出を行なっています。

牛の飼料に使うアルファルファを収穫するトラクターに乗せてもらいました。運転するのはジマくん、23歳。去年までザポリージャ南部に暮らしていましたが、ロシアに占領され、家族でザポリージャに住居を移しました。
「家も家具も全てロシア軍に取られてしまいました。心残りなのは、愛犬を連れて来られなかったことです」
学生時代のクラスメイトは何人も戦死したそうで、長期化する戦争に疲れているようでした。

トラクターを降りるとき、「戦争が終わったらまたきてください。ウクライナは美しい国です」と言った彼の笑顔は忘れらません。


この日のメニューはカツレツとそばの実

農場には食堂があり、毎日キッチンで働く女性が従業員の食事を作ります。特に忙しい夏場は、昼ごはんと夕食の2回分を用意するのだそうです。

「日本人に会うのは初めてだよ。食事が口にあったい?」
食堂で毎日まかないを作っているのはスベトラーナさんという女性。戦争前は市内で生活していたそうですが、現在は農場近くのダチャに疎開しています。息子さんは今戦地に赴いているのだそう。今のウクライナでは、誰と会話をしていてもそれぞれに辛い物語があります。

 

戦争で起こる新たな課題

 

戦時下にあるウクライナでは、全ての空港が閉鎖しています。使える港もオデッサ港のみで、輸出インフラが以前のように稼働していません。それに加え、今年の719日には、オデッサでロシア軍のミサイル攻撃があり、貯蔵していた穀物約6万トンが失われました惨事もありました。
このように、小麦などをたくさん収穫しても、送り出す場所がなくなってしまっては、ものが倉庫に溜まっていく一方です。



農作業に欠かせないトラクターやコンバインなどの機械が、攻撃によって破壊されている農家もいるようです。ウクライナで見かけるトラクターは、日本のトラクターがおもちゃに見えるほど大きく、パワフルです。それだけに莫大なコストがかかるものの一つです。

バディムさんの農場はおよそ1500ヘクタール、東京ドーム約320.8213個分の面積を所有しています。全ての農地をアナログで管理するのは気の遠くなる話。これまではドローンを利用して土地を管理していたようですが、この度の戦争により飛ばせなくなったそうです。そのため農地を車で巡回しなければならないのですが、これだけでもガソリン代や時間のコストがかかってしまいます。

私がザポリージャに滞在中の98日、街の水道局が爆撃に遭いました。その影響で水道インフラが打撃を受け、水不足が生じました。この日、軍人さんたちが水の供給をお願いしに農地へやってきました。作業していた人たちは、優先して水の供給の手伝いを行っていましたが、戦争は個人や企業の都合に関係なく、様々な面で常に協力する体制を取らなけれならないのだと感じました。

攻撃が激しかった去年の10月には、農地にもミサイルが落ちたそうです。写真を見せてもらうと、まるで隕石が落ちたような大きなクレーターができていました。幸いにも負傷した人は誰もいなかったようです。

バディムさんは、朝早くから夜遅くまで休みなく働いています。農場から家まで戻る際も従業員たちと電話をしながら仕事を続けていました。身体や精神的にも疲れているようでしたが、「休むと前線にいる兵士に申し訳が立たない」と言って、自分を奮い立たせているようでした。

 

◎「ウクライナ戦争」