五島のキリシタン インタビューシリーズ ”60代編”
古田正人さん(69)
私が滞在させてもらった五島の家族であり、古田家の大黒柱である、正人さん。
正人さんは島に住む他のカトリック信者とは少し違う価値観を持って生活されています。若い頃は親戚を通じて四国の貨物船会社で働き、そのときには東南アジアへよく行っていたそうです。
その後、大工や漁師を経験し、現在は自分の畑を守りながら、製塩業を営んでいます。中通島で生まれ育った正人さんの人生観は一体どのようなものでしょうか。
Q、ご両親はどんな方でしたか?
A、うちは、家族全員大変信心深い家庭でした。毎日のお祈りも欠かさず行い、その最中少しでもよそ見をすると、厳しく怒られていました。自分自身も子どもの頃、教会へ行かない人は悪い人だと思っていたくらいです。父は、神父の学校へ通っていたほど熱心な人でした。戦争が始まり神父になることはありませんでしたが、神学校に通っていると言うことで、大変信頼され、通信部署に配属されていました。教会のことは熱心にやっていたのですが、家のことはほとんどお構いなしでしたね。
Q、正人さんもそんなご両親の影響で教会のことも真剣になさっているのですか?
A、いいえ、私は親からの宗教教育の厳しさが裏目に出て、逆に信仰をしなくなってしまいました。教会へも冠婚葬祭以外には10年前から行ってないです。私は神様に頼らずに、自分の努力で生きていくと決めたのです。
正人さんの次男、吉成さんの船
Q、子どもさんが6人いらしゃいますが、彼らへの宗教教育はどのようにしていますか?
A、子どもたちには、お祝い日には教会へ行くことなど、基本的な教育はしてきました。しかし彼らには、御ミサやロザリオなどで教会へ行くことを強制せず、20歳になったら自己責任で自分たちで決めればいいと言っています。
その代わり、何か自分に困難や不満があった時に、教会へ行っていないなら、決して神様のせいにしてはいけないと教えています。
Q、この島で子どもを育てながら、生活を続けていく中で大変だったことはありますか?
A、そうですね、長男と次男がこの島に残ると言った時ではないでしょうか。この島には就職する場所もほとんどないですし、島に残るのであれば、仕事を作らなければなりません。彼らは漁師になりたいと言ったので、きちんと稼げるようになるまで、船を準備したり、漁を教えたりしました。今では、私より腕がいい漁師になっていますよ。笑
滞在中、時間があれば色々なところへ私を案内してくれ、信仰に対しての考えも隠すことなく話してくれた正人さん。
私が島を離れてからも、フルーツや島の恵みを送ってくれました。
「何も送り返さんでええけん」
困っている人に手を差し出し、奉仕する心は、正人さん本人にカトリックの精神が宿っている証明だと私は密かに思っています。