ジョージア人が、「あそこは別世界だ」と豪語する、コーカサツ山脈の山合い、アプハジアとロシアに国境を接する、スバネティ地方へやって来ました。ここは、私がジョージアへ行きたい気持ちを最も高めた場所であり、ジョージアのあらゆる土地とは異なった文化を持っています。

紀元前1世紀頃までにはスバン人は勇敢な戦士として知れ渡っており、古代ローマ時代の地理学者ストラボンの文献にも登場しています。キリスト教が伝来した紀元6世紀には、すでにスバン文化が深く根づいており、独自の言語、音楽、騎士道や一族同士の対立を裁く慣習法を持っていたとされています。

今回私が滞在させてもらった家族は、スバネティ地方のラタリという小さな村に住む、パルジアーニ一家です。ラタリ村はかつて、ゼモスバネティの中で最も強く、栄えていた場所でした。

広い敷地の一軒家では、豚や牛などが飼われ、庭の畑ではほとんどの種類の野菜が取れます。村にスーパーがあるか分かりませんが、家族が食料を購入することは滅多たになく、ほぼ自給自足の暮らしを営んでいます。
スバネティの家の特徴は、古い家の隣に新しい家を建て、昔の家は家畜の餌入れや倉庫などに使われています。日本のように古い家を壊して新しい家を建てるということはしません。

パルジアーニ家の人びと

お母さんのエカさん。ジョージア語とスバン語しか話せないので、私とは顔の表情やハグしたりして意思の疎通を図っています。1日中料理をしたり、畑の仕事をしたりいつも忙しくしています。スバネティ地方は、伝統音楽が盛んに行われていますが、エカさんは合唱団に所属していて、コンサートなどに出たりし、スバン音楽の継承を行なっています。料理が大好きで、毎食テーブルにはたくさんの料理が並びます。

お父さんのジャニコさん。ジョージア語でお父さんのことを、”ママ”と言うので、ママと呼んでいます。建築関係の仕事をされていて、いつも朝早くから仕事へ出かけて行きます。ジャリコさんはロシア語が話せるので、エカさんの通訳もしてもらっています。

長男のエレクレ、17歳。村の学校は始まるのが9時~10時の間。それまでは家の手伝いをしたり、牛の世話をしています。

次男のドミトリくん、14歳。驚くほど面倒見がよく、お母さんが忙しい時には私の食事の面倒や、村を案内してくれたりしてくれます。甘えん坊で、いつもお兄ちゃんにくっついています。スバンの伝統舞踊のグループに所属していて、伝統文化を引き継いでいます。
ちなみに彼が着ているスバネィ地方の民族衣装は、風の谷のナウシカが着ている服のモデルではないかと言われています。

スバン人の暮らし

山で暮らす人びとは、日が昇る頃には周囲の家畜が鳴き出すこともあり、朝が早い印象があります。ジョージア人は大体朝はゆっくりの人たちが多いですが、この家族も大体8時には活動し始めます。今の時期は草を刈って、冬の牛の餌を確保する時期。大きな牧場や畑を3つ所有しており、朝から晩まで畑へ出かけています。

家の1日は牛の乳搾りから始まります。このミルクでマッツォーニ(ヨーグルト)やチーズを作ります。

家の正面にある庭の畑では、ほとんどの種類の野菜を栽培していて、料理の度に庭へ出て行って食料を調達しています。

朝と夜はいつも近所の人たちや、親戚がやってきて、大勢で食事を取ります。ジョージア人は乾杯をする時にお祈りや演説をするのですが、この日はドイツの病院で多くの人たちが亡くなったとニュースで流れていました。食事の前に彼らに黙祷が捧げられ、ワインを床に数滴垂らし、大地に感謝をして食事が始まります。

日常生活の食事や家に関することは、主にお母さんのエカさんが中心となっていましたが、家族の大きな決め事などは、お父さんが決定権を持っているようでした。

彼らの生活の中には、スバン文化の継承が自然な形で行われていました。歌や踊り、民族衣装など、それらを仲間たちと共有することで彼らのアイデンティティ守り、確認しているようでした。

約10日間ほど滞在させてもらいましたが、お別れはあっさりと、、、まるで明日また会う約束でもしているかのようでした。山岳地帯で暮らす人たちが、いつも決まってそうであるように。