観光立国ジョージアには、年間ジョージアの人口以上、約600万人もの観光客が訪れています。治安も良く(私が訪れた国の中ではダントツ1位)、旅の初心者でも問題なく旅行できる土地だと思います。私が定住旅行中に一番よく見かけたのはインド人でしたが、ヨーロッパでも人気の観光先として知られています。

日本では、2015年にグルジアという名前からジョージアという名称に変わり、まだまだ認知はされていない国の一つかと思います。

ジョージアに出発する前に、週1回ジョージア語のレッスンを受けさせてもらっていたのですが、使っていたテキストの著者さんに、なんと!ジョージアで出会うというサプライズがあったのです!ジョージアのことを日本で一番知っている人と言ってもいい、児島康弘さんにジョージアのディープなお話をお聞きすることができました。児島さんは現在、在ジョージア日本国大使館で働いていらっしゃいます。

児島さんとジョージアの出会いを教えてください。

                                    留学生時代の児島さん

私はもともと言語学を専攻していて、世界の様々な言語に興味を持っていました。一般的にはあまり知られていませんが、言語学の世界ではジョージア語は特殊なことで有名な言語の一つです。本格的にジョージア語を学びたいと思って、2000年から2年ほど首都のトビリシに留学をしました。当時は外国人がジョージア語を学ぶなんて信じられないことでしたので、現地の人にはすごく驚かれましたし、少しでもジョージア語を話すととっても喜んで、よくしてくれました。

ジョージア語の歴史や特徴は?

ジョージア人はコーカサスの中では大きな民族の一つです。ご存知の通り、ジョージアは50年以上平和が続いたことがないほど、常に色んなところから征服されたり、侵略されたりを繰り返してきました。民族集団の規模が小さくなった時代もありましたが、それでも山の奥で細々と消えずに残ってきた言語がジョージア語です。また、アイデンティティが維持できた理由の一つには、キリスト教という宗教の存在も大きく関係していると思います。ジョージア語の文字自体は、4世紀の初め頃から有ったと言われているのが有力です。

また、言語学的な話をすると、文法構造のタイプが英語や日本語などとは大きく異なります。例えば、大概の言語は、主語に対して目的語を変化させたり、前置詞を付けてその方向性などを示すのが一般的ですが、ジョージア語は目的語を変化させずに、主語を変化させたり、動詞の形を変えたりする特徴があります。

面白い表現も色々と有って、例えば、”妊娠した”という時には、直訳すると”魂が2つになる”とか、”足が重くなる”というような言い方をします。また、”亡くなった”と表現する時は、”別のものになった”という言い方をするんですが、生死に関わることは遠回しに表現する傾向があるように思います。言語からジョージア人の国民性や価値観などが分かるのが興味深いです。

ジョージア語を学んで良かったと思うことは何でしょうか?

ジョージアでは、外国人がジョージア語を話すなんて夢にも思っていないので、少し話しただけでも、大げさかと思うほど、とびきり喜んでくれます。また、ジョージア語を話す外国人は本当に少ないので、TVやラジオなどにもときどき呼ばれたりします。この国でしか使われない言語ですが、会話できる喜びや価値は十分に感じています。

この国を象徴するような言葉はありますか?

「敵には剣を、友には盃を」という言葉でしょうか。トビリシのトレードマークにもなっている、ムタツミンダ山の上に立つ、母の像が持つ意味でもありますが、ジョージア人の気質を良く表していると思います。これは、敵には剣で戦い、友にはワインの杯で迎えるという精神を現しています。

日本では、外国語=まず英語という風習があるのですが、そのことについてどう思いますか?

       菅原一秀財務副大臣(当時)とジョージアの財務大臣と会談にて通訳をする児島さん( 2015年5月)

英語は国際的に使われる言語として、とても有効ですし、便利であると思います。世界の共通語としては良いと思いますが、その一方で、それが英語一色になるのは、多様性が欠けていくような気もしています。言語というのは民族のアイデンティティの根幹に関わる大切なものですので、世界の多様性を理解するためには、英語という手段では届かないことがたくさんあると思います。

私が感じる多言語理解の重要性

現地のジョージア人たちが、「ジョージア人よりジョージア語が上手い!」と豪語される児島さん。お話を聞いていて感じたのは、児島さんのジョージアに対する深い愛情でした。

私も言語が大好きな人間ですが、その国を理解するためには、2つの視点が絶対的に必要であると感じています。一つは、その国の言語を通してその国と接すること、もう一つは日本人(外国人)としての外部の人間価値観を持って接することです。この2方向からのアプローチで、ようやくその国を見つめるための入り口に立てると私は思っています。

異文化だけでなく、全ての物事には自分が知ることのない多様な面が隠れていて、視点によって物事を捉える価値や意味が大きく異なると思うのです。

私はジョージア語を話すことはできませんが、児島さんは、ジョージアという国でその2つの視点を持って接することのできる大変貴重な方だと思います。

そんな児島さんの著書はこちらから。

日本に一冊しかない、ジョージア語テキストです。
ニューエクスプレス グルジア語《CD付》

児島さんの半自伝的作品→僕とおばあさんとイリコとイラリオン