戦禍に響く子どもたちの声
こんにちは、定住旅行家のERIKOです。戦時下でウクライナの子どもたちがどのような学校生活を送っているのか。ウクライナ中部のクロピヴニツキーに滞在中、ウスティニフカ村の学校を訪問しました。全校生徒は約400人。学校の前までくると、校舎から元気が子どもたちの声が校庭にこだましていて、入門する前から明るい気持ちになりました。
オンライン授業から対面授業へ
私が訪問させてもらった9月上旬は、新学期の初登校の日で、対面授業が再開された日でもありました。2022年2月のロシア侵攻が始まってから、授業はしばらくオンラインで行われていたようです。久しぶりに学校で出会う友だちや先生たち、新しいクラスメイトや教室に、興奮してはしゃいでいる子どもたちの姿がありました。
放課後にはサッカーをする生徒たちの姿も
廊下ですれ違う生徒たちは、小学校低学年のような子から、高校生のような子までいて、日本とは学校制度が異なるようでした。先生に尋ねると、ウクライナでは1年生~11年生まであり、9年生までが義務教育なのだそうです。通りで幅広い年齢の生徒を見かけるわけでした。
10年生のクラスにお邪魔させてもらいました。私が日本人だとわかると、「スシ」、「アニメ」、「カラテ」などお馴染みの単語が飛び交います。
戦争が始まってから変化したことについて質問すると、「もう慣れちゃったからこれが普通になっている」と言って具体的な変化なども思い出せないといった様子でした。戦争が日常の中に組み込まれるほど長期化しているのだな、とひしひしと感じた瞬間でした。学校が始まった嬉しさで、みんな活気に満ちていました。
地下壕での授業
地下壕への入り口
「こちらも見て行ってください」と、先生たちに案内されたのは校舎の外にある地下壕。
「空襲警報がなったら、ここに避難して授業を続けます」
少し肌寒さを感じる地下壕には、机やイス、暖房器具、トイレなど必要なものはほとんど完備されていました。去年と比べると警報の数は激減したそうですが、1日1回はアラートが発令されるようで、地下壕で授業することも多いとのこと。子どもたちは地下壕での授業もすっかり慣れたようで、リラックスして受けていると話していました。
ロシア語からウクライナ語へ
はじめに滞在した東部のザポリージャ同様に、中部のクロピヴニツキーにおいても、ロシア語は日常的に使われています。特にソ連時代に教育を受けた世代の第一言語はロシア語。しかし今回の戦争をきかっけに、子どもたちの反ロ感情の高まりから、ロシア語を使わないようにする子どもたちが急増。生徒たちからロシア語の授業の廃止を希望する声が上がったそうで、現在ロシア語の授業は行われなくなったそうです。
図書館に入ると、ウクライナを代表する詩人のタラス・シャフチェンコの詩集がズラリ。本棚からはロシア語の本、ロシア文学が消え、「ウクライナ語で読みましょう」という文言が掲げられています。若い世代がウクライナ語を優先して話し続ければ、いずれウクライナからロシア語なくなる日もやってくるかもしれません。
戦争を機に始まった地雷の授業
校庭内に落下した迎撃したミサイルの破片
去年の冬、この地域の上空を飛んだミサイルが迎撃された際に散ったミサイルの破片が、この学校に落下しました。幸いにも怪我人は出なかったようです。ロシア軍の攻撃が激しかった去年、万が一友人や家族が怪我をしたときのため、必要最低限の人命救助の知識を持っておくべきだとして始まったのが、救急救命の授業です。
さまざまな想定で怪我をしたときの対処やフィジカルケアーを学びます。またそれに加えて学ぶのが、地雷について。地元の警察官や軍人がやってきて授業を行うそうです。
幸いクロピヴニツキーにはありませんが、ロシア軍が占領した南部や東部の前線に近い地域では、ロシア軍が大量の地雷を埋めています。地元の議員さんの話によると、1平方メートル当たり、平均で6個以上も埋められているとのことでした。地雷も元来のデザインから進化しており、中には一見おもちゃと見間違えるような見た目のものもあります。うっかり触れてしまわぬよう、見つけたときの対象方法も合わせて学びます。これらの授業は戦争を機に始まった新しいカテゴリーだそうです。
爆撃された学校
南部のザポリージャに滞在中、現地の家族が案内してくれた場所がありました。去年ロシア軍によって爆撃された学校です。小さな村にあった唯一の学校だったため、子どもたちは学ぶ場所を失われてしまいました。
爆撃を受けたままの状態になっていた学校の中へ入りました。報道や写真などでは何度も見たことがあるような崩壊した建物ですが、中へ入った途端、足がすくみました。
跡形もなく破壊された教室、ぐちゃぐちゃになった生徒たちが使っていた教科書、みんなが見ていた掲示板。まだそこに学校生活の続きがあるかのような温度が少し残っているかのようでした。
ウクライナの子どもたちが、不安なく安全に学べる日が1日でも早く来ることを願います。
◎「講義 ウクライナの歴史」