晩年も家族と一緒に暮らすマデイラ島のお年寄りたち
こんにちは、定住旅行家のERIKOです。
ポルトガルの南西に浮かぶマデイラ島には、25万人が暮らしています。そのうちの18%が65歳以上です。ポルトガルでは67歳から年金受容資格が与えられています。
滞在先の家庭には、同じ家の敷地内の離れにマリア・ギダさん75歳が暮らしていました。彼女を通して見えたマデイラ島のお年寄りの生活や、世代の移り変わりについてみてみたいと思います。
ギダさんが若かった頃の保守的なマデイラ島
ギダさんが暮らす家や近所の家には、Casa das Prazeres(至福の家)と呼ばれる、バルコニーのような小さな小屋が通りに面して建っています。現在は物置小屋となっていますが、ここは昔女性たちが集会し通りを眺め、お茶などを飲みながら世間話をする空間でした。ギダさんが若い頃は、女性が外を出歩いたり、水着はおろか、スカート以外のものを身につけたりすることが世間的にほとんど認められていなかった時代でした。テレビもなかった時代、外からは一切中の様子が見えないこの小屋で、女性たちはゴシップをするのが一番の娯楽だったそうです。
子どもたちの教育
女性は保守的であることが求められた時代を生きたギダさん。当時の女性としては非常にオープンマインドな気質であったようです。ギダさんの娘のアンドレイアさんは、彼女の教育をこう語ってくれました。
「母はとても寛容で新しい発想やアイデアに対して非常に前向きでした。人生には常にいろんな機会があると考え、高校を卒業した私たち子ども三人をリスボンなど、島の外で学ぶことを推奨し、他の世界を知る機会を与えてくれました。無口で厳格な父親とは正反対の性格でした。弟とよく思い出して話すのが、毎月リスボンに大量のコンドームが送られてきたことです。性的教育もタブーにすることなく、なんでも教えてくれました」
多趣味なギダさん
ギダさんの日課は、家の広い庭の手入れや世話をすること。マデイラの伝統的なキンタと呼ばれる庭園付きの家には、100種類以上の植物が植えられています。以前は専門の庭師が常駐して管理していたようですが、庭師の数が減ってしまい、見つけるのも大変なのだそう。たくさんの種類の植物が植えられているのには、マデイラの歴史的背景があります。ギタさんの若い頃は多くの人たちが出稼ぎへ出かけていました。彼らはその先で、他の花の種を持ち帰り、それを近所の人たちと交換しあって、自分の庭に植えていたそうです。花の種を交換することが、人との交流の一つになっていたなんて、素敵ですよね。外来種が多いのもそのような背景があるようです。
ギダさんの仕事は庭だけではありません。学校が終わったあとの孫のマリアちゃんの面倒をみたり、家事をこなします。また習い事としてbraguinha (ブラギーニャ)と呼ばれるウクレレのような伝統楽器のサークルにも参加しています。家でもしっかりといろいろなことをこなしながら、社会と積極的に関わる生活を送られていました。
マデイラ島の老人ホーム
マデイラ島にはおよそ25の老人ホームやお年寄りが入居できる施設が存在しています。マデイラの絶景が見渡せる場所にある「Mary Jane Wilson」を訪問させてもらいました。
1924年に銀行家が建てた家だったのを、ビアンキ・アメリアという人物が購入し、86年に現在の老人ホームとなりました。もともと豪邸だったこともあり、施設というよりは家のような内装でアットホームな雰囲気。
定員は60名で、入居者の平均年齢は85歳だそうです。ここで暮らす皆さんとお話しをさせてもらいました。
ポルトガルは家族の絆が強い国で、親や祖父母が年を取ったときのケアーは、なるべく家族がするのだそう。しかしながら、現代の若い世代は仕事や自分のことに忙しく、時間がとれない人も多いようです。ここへ入居した理由を聞くと、「一人暮らしをしたくない」、「日常生活に介護が必要」、「家族と住んでいるがコミュニケーションをあまり取らないので孤独を感じたくない」などさまざまでした。
またマデイラ島ならではと感じたのが、高年齢の外国人(主にイギリス人)がバケーションで島に来る際、ホテルに泊まらず、ここへ宿泊しながら休暇を過ごす人もいるのだそうです。
◎作家 檀一雄がポルトガル・サンタクルスに滞在中に執筆した「火宅の人」