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ホンジュラス人のありふれた人生物語 —不法移民として過ごした子供時代—

 

こんにちは、モデル・定住旅行家のERIKOです。

今回の旅で出会い、お世話になったハンシー・カラスコさん(Hansy Carrasco)。英語がネイティブ並みに上手な彼は、アメリカ育ちだから。
ホンジュラスの旅が終わる頃、彼はその生い立ちを私に共有してくれました。その彼の物語は特別であり、そしてどこにでもあるありふれたものかもしれません。しかし、そのどちらにしても私の心を大きく動かしました。
彼の許可を得て、ここにその物語を共有したいと思います。

母に背負われて、知らぬまま不法移民者に

僕の英語が堪能なのは、僕がアメリカ育ちだからです。今はホンジュラスで生活していますが、幼少期はアメリカのバージニアで過ごしました。こう話すと、裕福な家庭に育ったように思われますが、決してそうではありません。

僕は2歳の頃、母の背中におぶわれてホンジュラスからアメリカのバージニアまで徒歩でたどり着きました。自分が不法移民をしていたことは後に物心ついてからでした。

コヨーテに誘導されて国境を超えた

ホンジュラスを出たとき、僕は2歳くらいでしたが、その時母の背中から見た風景を今でも鮮明に覚えています。奥深いジャングルで、トゲのある草木で母が怪我を負ったり、身につけているや貴重品を売り歩きながら、時には何も食べ物がなくて見知らぬ人に助けてもらったこともありました。

メキシコからアメリカへ入る時は、密入国のルートを知っている”コヨーテ”(密入国案内人)に誘導してもらったのですが、彼らに渡すお金も貴重品も何も残っておらず、母はずっと肌身離さず身につけていた親の形見の指輪をコヨーテに渡して許してもらいました。何か相手に提供できる価値のあるものをそれ以上身につけていなかったからです。

とにかく、いつ死んでもおかしくない状況で何ヶ月もかけてバージニアまでたどり着いたんです。

アメリカでの生活で家族が壊れた

アメリカでの生活は、仕事にありつけ、教育を受けられたのは良かったと思います。しかし、資本主義社会の労働の罠が我々家族を待っていました。父親が仕事に追われて家族で過ごす時間が短くなり、母はホンジュラスへ帰りたいと希望しました。しかし、父と母の意見は対立したままで、結局父と弟たちはアメリカに残る選択をして、母はホンジュラスへ帰国しました。

私も母と一緒にホンジュラスへ帰りましたが、スペイン語が話せず、我が祖国であるはずなのに、異国のように感じました。

アメリカへのビザを取る時の面接は拷問の時間

父と兄弟はアメリカに住んでいるので、彼らに会いたいという気持ちはありますが、我々ホンジュラス人がアメリカへ行くにはビザが必要です。そのため、様々な細かい書類(子供の教育レベル、どんな家に住んでいるか、車の有無など)の提出や面接をクリアしなければなりませんし、一回の面接を予約するのに1,600ドルもかかります。
これはホンジュラス人の1ヶ月の給料の約3倍です。

私と母は以前、アメリカからホンジュラスへ戻って来た人間なので、アメリカ側から見ると、アメリカを捨てた人間だという扱いをされます。

面接は全て英語で行われますが、母と私の質問の答えが少しでも違えば、ビザを発行してもらえません。面接官は高圧的でプレッシャーのあまり涙が出そうになることもありました。母はこれまで4回申請して、ビザが発行されたことは一度もありませんし、もちろん、申請料は戻ってきません。

将来の生きる場所

 

出稼ぎという選択はこの国の治安を悪くしている一番の原因であるので、それはしたくありません。この国では、親のどちらかが出稼ぎに出て、家族の愛情と子供の教育を受けられず、非行に走り、違った方法でお金を得ることを覚えていき、犯罪が増えるのです。子供に人生の手本を見せるのは親ですから、一緒に暮らしていくことは本当に大切なことなんです。

僕は今ホンジュラスで働いていますが、国の治安や政治が不安定なため、心配なこともあります。子供には色んなチャンスを与えたいと思っていますし、他の国で暮らすという選択枠は頭の中に常に持っていようと思っています。

ただ、どこへ行っても僕はホンジュラス人ですし、アイデンティティはこの国にしかありません。そして、もし次にアメリカへ移住することになれば、ちゃんと移民として行くつもりです。

生きる強さ

今回のハンシーさんのような体験をしている人は、ホンジュラスに限らず、中米のNorth Triangle三角地帯(ホンジュラス、エルサルバドル、グアテマラ)にはたくさんいて、日本人からすると考えにくいことですが、決して特別なことではありません。
彼らの生活は、常に自分たちの力ではどうすることもできない”時代”と自分の人生との葛藤です。
そんな社会では、”あきらめる”という力がないと生きていけないのです。

ホンジュラス人だけでなく、ラテンの人たちは、自然や国家などという、自分たち個人の力ではどうすることもできないものが世の中には存在するということをよく知っています。それゆえ、自然界で起こることやどうしようもないことに対抗したり、コントロールしようとする思考が生まれないのではないかと思います。

諦めるの本来の意味は、”明らめる”と書きます。物事の道理をわきまえることによって、自分の願望が達成されない理由が明らかになり、納得して断念するということです。次へ進むための大きな一歩なのです。
そういう意味で、ホンジュラス人は”あきらめる大切さ”をよく知っている人たちだと私は思います。

それがこの社会で生きていく、一つの知恵と強さなのでしょう。