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洞窟都市に暮らすカッパドキアの家族

こんにちは、定住旅行家のERIKOです。20236月下旬より、トルコ共和国にて定住旅行に来ています。
今回の定住先にトルコを選んだ理由は、地理的にヨーロッパとアジアの結節点で、歴史も深く、エルトゥールル号事件や1985年のイラン・イラク戦争時のテヘランからのトルコ航空の日本人脱出支援など、日本との繋がりも深いことで以前から注目していました。またイスラム教徒がほとんどの割合を占める中、世俗主義であったり、諸外国との友好的な外交などにも興味がありました。

奇観な土地「カッパドキア」

      
最初の定住地はトルコ中央部に位置するネヴシェヒル県。この地域は昔、広範囲でカッパドキア(美しい馬の地の意味)と呼ばれていました。この地域はトルコで2番目に高いエンジェス山3,916mとハッサン山3,253mからの火山灰などの噴出物である凝灰岩の地層が広がっていて、その侵食の進み方の違いでユニークな形の岩地形がつくられています。


滞在先は「尖った砦」と言う意味を持つウチヒサル村。ウチヒサル城塞を中心に大小さまざまな形の岩山をくり抜いた岩窟の地下都市が広がっている村です。
滞在先の家は、ウチヒサル城塞の真下にあります。ウチヒサル村に到着したとき、なんだかむくみがひどいなと思っていたのですが、標高を確認すると1,400mも!

到着した620日頃は数日間、雨や雷がひどかったですが、徐々に天候は安定してきました。ただ冷え込む日も多く、暖炉を炊いた日もあるほど。冬にはなんと気温がマイナス25℃まで下がり、雪深い景色になるのだそうです。

先祖代々カッパドキアの地に暮らす一家


ウチヒサル村では、トルコ人の友人から紹介してもらったトゥルケさん一家の元に滞在しています。彼らは60年以上、この土地に代々暮らす家族。家長のメフメッドさん、奥さんのギュライさん、アイシェさん、ファティメさん、エブラルさんの三人娘。そしてメフメッドさんのお母さんフスニエさんの6人家族です。

メフメッドさんは洞窟ホテルを経営しており、娘のアイシェさんはその運営を手伝っています。次女のファティメさんは建築事務所で設計士として働いています。末っ子のエブラルさんは高校生。6月〜8月まで夏休みということで毎日家にいました。

奥さんのギュライさんは、家族が所有する畑の管理や、ホテルで提供する野菜などを育てる仕事をしています。

家族の中の司令塔はおばあちゃんのフスニエさん。とても優しい印象の彼女ですが、息子や孫たちの活動に対して鋭い指摘をして家族を取りまとめています。留学するにも、一人暮らしをするにも、フスニエさんの許可が下りないとできないんだと話していました。


メフメットさんとギュライさんが結婚したきっかけはお見合いだったそう。当時はお見合い結婚が主流だったようです。今の若者たちは恋愛結婚がほとんどですが、結婚前の同棲などは未だに受け入れ難い価値観であったりするようです。

宗教観は家族でバラバラ


トルコは国民多くはイスラム教徒(スンニ派)です。その一方で、世俗主義を国是としており、政治や公の場で宗教が関わることが禁じられています。(現在のエルドゥアン政権になってから変化してきているのですが)
ムスリムと言っても、信仰には大きな個人差があると感じます。トゥルケ家のおばあちゃんフスニアさんは、敬虔なムスリマ。生活や自己の振る舞いはクルアーンに沿って行い、15回の礼拝も欠かしません。一方で、フスニアさんの息子メフメットさんはムスリムでありながらも信仰心は薄く、礼拝もしなければ、飲酒もします。幼い頃、両親から厳しく教えを叩き込まれたことでどこかに反発心が生まれたのだとも話していました。

奥さんのギュライさんは、スカーフで髪の毛を覆っていますが、信仰心からというよりも、この地域の伝統的な女性の身なりといった感じで、家事のしやすさや利便性があるためというのも大きいと感じます。10代~20代の彼らの三人娘たちは、宗教にはほぼ関心がありません。

家族が一つの単位


家族や家族と過ごす時間を大事にする国はたくさんみてきましたが、トルコ人の家族観は他の国々よりもより強い印象を受けます。イスタンブール空港から国内線に乗り換える際、トルコ航空のチェックインで小さいお子さんがいる家族のための専用チェックインカウンターがありました。また、通常のチェックインカウンターでも個人客は私一人で、他はみんな5-6人の家族単位がほとんど。
メフメットさんのお父さんは4年前に病で亡くなられたそうですが、亡くなるとき、メフメットさんの胸の中で息を引き取ったと話していました。「家族は生きる根源みたいなもの。家族のもとに生まれて、家族の元で死ね。国の幸せは家族が作る。家族が幸せでないと国はよくならない」と家族の重要性をよく話してくれました。

家族はホテルを経営していることもあり、多言語話者で、外国人に接することにとても慣れている印象を受けました。いつも気にかけてくれますが、お節介過ぎず、困った時には全力で助けてくれるという心地良い距離間を感じました。
またこの地域全体に言えることですが、国籍に関わらずよそ者を歓迎してくれる風土があり、それが気に入って移住してくるヨーロッパ人にもたくさん出会いました。