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日本捕虜の歴史を持つ「エラブカ」

こんにちは、モデル・定住旅行家のERIKOです。日本の東北6県と同じ6万8000㎢の面積を持つタタールスタン共和国。大都市のカザン以外にも重要で見所のある場所が国内にはいくつもあります。その一つがエラブカという街です。この場所はタタール人にとってだけでなく、実は日本人にとってもゆかりのある場所なのです。

エラブカ、タタール語では「アラブカ」と呼ばれているその街は、カザンから東に200km、カマ河流域に位置しています。人口は7万人で、その6割はロシア人が暮らしています。
エラブカの語源は、トュルク語系の言葉で「オス牛」という意味があるのだそうです。私が訪問した日は、突然晴天になったり、大雨が降ったりと空模様が変わりやすい天候でした。小さな街ですが、1日でギリギリ足りるか?というくらい、見所はたくさんある街です。

11世紀の建築の痕跡を間近で

この街は11世紀頃、ヴォルガ・ブルガルの国境を守るための要塞都市でした。(ブルガル人は現在のタタール人です)その要塞跡が残っているのが、この「悪魔の塔」と言われる建築物です。
塔からの景色は、生い茂った緑の草原とカマ川が見え、絶景スポットの一つです。川の反対側にはニジネカムスクという石油化学コンビナートの街が見えます。

風景画の巨匠 イヴァン・シーシキンの故郷

「森の王」と呼ばれるほど自然を深く愛し、風景画を描き続けたシーシキン。ロシアでは19世紀を代表する画家の一人です。そのシーシキンの家族が暮らしていた家が博物館となっています。モスクワの大学へ行くまで住んでいた家でもあり、たくさんの直筆デッサンが展示してあります。
シーシキンが実際に絵を描いていたお部屋も間近で見ることができます。家族が使っていた家具などからも、ロシアの昔の暮らしの断片にも触れることができました。


ベランダから見える景色

ロシア国内最初の経済特区

ロシアは約30の経済特区がありますが、エラブカの郊外には、ロシアで一番成功している経済特区「アラブカ」があります。ここでは主にプロダクト生産をメインとする事業が行われており、KASTAMONU(トルコ)、SARIA(ドイツ)、Huhtamaki(フィンランド)、ROVK WOOL(デンマーク)の会社や、米国のフォード、トルコのハイヤットホールディングスの工場が稼働しています。
2005年からスタートしたこの経済特区では、現在7,000人以上の人たちが働いています。住居インフラも整っており、電気代や水道代などは無料で提供されています。

詩人 マリーナ・イヴァノーヴァ・ツベターエワ


マリーナはモスクワに生まれ、10歳で詩壇にデビューしたロシア女性詩人です。私もエラブカに来るまでその存在を知りませんでしたが、現在のロシアで最も人気のある詩人の一人だそうです。エラブカの街には、彼女の博物館があり、ここは彼女が疎開をした時に暮らしていた家でした。ロシア革命や時代に翻弄されながら、波乱万丈な人生を送った彼女。最後は住んでいたエラブカの自宅にて、自らの手で生涯を終えました。

日本人捕虜慰霊碑

日本人としてエラブカへ行ったら必ず訪れておくべきなのは、市内にあるペトロプラブロスコエ墓地内にある慰霊碑。エラブカにはかつて捕虜収容所があり、第二次世界対戦後、満州などから連行されたシベリア抑留の日本兵がここに収容されていました。

実は今回、私がタタールスタンへ行こうと思った一番の理由は、故相沢英之氏(元大蔵官僚)から、エラブカの収容所に捕虜として入ったいた時の話を聞いたのがきっかけでした。その時は、タタールスタンという言葉も聞いたことがなかったし、私とは関係を持つこともない、未知の世界という感じでした。しかし、相沢先生にお会いするごとに、その場所を見てみたいという気持ちが芽生えてきたのです。私がタタールへ行くのを楽しみにしていてくれていたようですが、私が出発する前にこの世を去られました。

お墓に供える花はカーネッションが一般的。ロシア人はよく花をプレゼントする習慣がありますが、色や数によってそれぞれの意味合いが異なります。偶数は死んだ人へ、奇数は生きている人へあげます。少し前までは黄色は不吉な色で、絶縁したい時などに渡していたそうです。

旅というのは、自分の中にある経験や知識によって、より深くもなり、感動も増します。目に見える美しい建造物や観光施設を巡るのもそれなりに楽しいですが、一見何もないと思われる場所にも、そこで起こった過去の歴史や痕跡が潜んでいて、その物語を読み解いてもらうのを待っているような気もするのです。