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カルムイクで”サムライ”と呼ばれた中川義照さん

こんにちは、モデル・定住旅行家のERIKOです。
「あなたに会わせたかった人がいたの」滞在先の家族から、カルムイク共和国に住む唯一であろう日本人のことを到着してすぐに聞きました。その方は、中川義照さん。カルムイクでは”サーシャ”と呼ばれている日本人男性は、2017年にすでに亡くなっていました。
彼への興味と生前の話を聞けば聞くほど、どうしても会って見たかったと思うのですが、叶いませんでした。しかし、彼の家族と出会う機会をもらえたので、ここにその記録を残しておきたいと思います。

中川さんがどのような人生を送ったのかという情報は、現地の雑誌や情報などからしか分かりませんが、下記のような経緯でカルムイクに住んでいたようです。


”1926年山形県に生まれた中川さん。第二次世界大戦の頃、樺太で暮らし、航空隊のエースパイロットとして帰国と戦っていた。終戦を迎え、日本人が日本へ帰って行く中で、中川さんは戦死した仲間に申し訳なく思い、日本へ帰らずに過ごしていたところ、ソ連軍の捕虜にされてしまう。捕虜としての辛い日々を送る中で、ガラス片でハラキリをしたところ、ソ連兵に見つかって一命をとりとめた。4年間シベリアで強制労働を行い、敗戦の負い目から日本へ戻らず、ソ連に帰化した。その後、日本人であることを隠し、ロシア人と結婚。その後も中央アジアの国を転々とし、モンゴル系の人たちが暮らす、カルムイク共和国へ移住した。
中川さんがカルムイクでサーシャと呼ばれているのは、捕虜時代、朝鮮人の通訳が捕虜の名前を「サダオ」と間違え、サーシャと言ったことから付いた名前だ”

”生きて虜因の辱めを受けず”

まさに中川さんが日本へ帰らなかったのは、こんな想いが渦巻いていたのではないでしょうか。その経験の重さは、何も知らない私が記述するには到底言葉が追いつかない次元です。

中川さんが住んでいた家へ

                       中川さんの家族が暮らすユージニー村

カルムイク政府が車とドライバーさんを手配して下さり、中川さんが住んでいたハムティンコフスキー地方のユージニ村へ向かいました。エリスタから村までの景色は草原がいつまでも広がり、時々バッタの大群が車のフロントガラスに大粒の雨のようにぶつかりました。

                    中川さんの養子の娘さんと息子さんたち

中川さんの奥さん、リュバさんの体調の具合が悪いからと、直前まで訪問が実現するかどうか分からなかったのですが、当日は娘さんと二人のお孫さんと玄関先で出迎えてくれました。奥さんの体調が良くないのは、彼女の瞳の俯き加減と、痛みが集約されたような眉間の皺でわかりました。到着して一息つく間も無く、中川さんのお墓へ参ることになりました。

砂漠の中にぽつんとできた小さな墓地に入ると、盛り上がった土に桜の造花が供えられた中川さんのお墓がありました。周囲のお墓と比べると、彼のお墓には墓石がなく、つい最近亡くなったかのような佇まいです。
カルムイクのお墓参りの方法で、お菓子やチャイをお供えし、お墓の周りを三回周って手を合わせました。私は日本から持っていたお酒を桜の花の横にお供えしました。
中川さんが眠っている土に手を添えると、「故郷の人が来てくれたって、喜んでるわ」と視線を下に向けたママのリュバさんが涙声でポツリとつぶやきました。それだけでも来て良かったと心から思いました。

リュバさんは、中川さんと暮らしていた家に一人で暮らしています。キッチンのテーブルには、リュバさんの一番お気に入りであろう中川さんの写真が置かれていました。

                      中川さんが最期を過ごした部屋

中川さんが最後まで過ごしたベッドも車椅子もそのまま残っていました。リュバさんは、中川さんの写真や遺品を取り出して、「どうぞお好きに見て、欲しいものがあったら持って帰ってください」と言いました。

叶わなかった中川さんの最後の夢


中川さんは過去に3回日本へ帰国し、北海道美唄市に住む姉妹や家族と会っていたそうで、その様子は現地のTVでも放送されていたそうです。
                   使われることはなかった中川さんのパスポート
もう日本語も話せなくなっていた中川さんですが、「最期は日本で迎えたい」と願っていました。それを聞いた両政府が協力してパスポートを発行していたのですが、その渡航を待っている間に亡くなられました。

奥さんの願い


中川さんのお墓に暮石が立っていないのは、ある意図があるのかと思っていましたが、奥さんと話しをしている中で、それは経済的な問題で作ってあげられないのだとということが分かりました。その話を聞いて、私がここに来た意味が少し見出せたような気がします。
リュバさんは心臓に問題を抱えており、病院へ行くのも半ば諦めているようでした。健康的な問題もありますが、中川さんが亡くなって、生きる気力を失っているようにも感じました。

「お墓のこと、なんとかしようと思いますので、元気でいてくださいね」というと、返事をためらった後、「わかったわ」と小さな声で答えてくれました。

カルムイクに日本の素晴らしいイメージを残したサムライ

カルムイクには日本人の観光客はほとんど訪れないし、住んでいる人も私が探して中では一人もいませんでした。この国で中川さんは、日本のイメージを背負い、規律、勤勉さ、サムライ精神を国民に伝えたのだと思います。それは、今のカルムイク人が私に敬意を持って親切にしてくれる対応で実感することができます。カルムイク人が日本のことを思ってくれるように、日本人がカルムイクのことを思ってくれる日が来たら、きっと中川さんも喜んでくれるでしょう。

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