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日本人として知っておきたいパラオのこと

  • 02.24.2019
  • パラオ Palau

こんにちは、モデル・定住旅行家のERIKOです。

2019年最初の定住旅行地は「パラオ」です。寒いのが大好きな私はこれまで無縁と感じていた国ですが、今回パラオで爆発物の処理を行なっている、NPO団体日本地雷処理を支援する会(Japan Active Mine Service)を支援している株式会社インフォメーションディベロップメントさんとのご縁で、パラオを訪問させてもらうことになりました。
実際パラオを訪れてみて、驚いたのは、パラオ人たちの生活や文化の中にたくさんの”ニッポン”が散りばめられているということです。

パラオはパラオ語で「ベラウ」

パラオ共和国は日本から約3000km南に位置する国。パラオ語では「Belau ベラウ」と呼ばれます。日本との時差はありません。
首都のマルキョク(上写真)がある主島のバベルダオブ、北のカヤンゲル環礁、南のロックアイランド、ペリリュー、アウガウル、トビ、ヘレンリーフなどの南西離島など、南北約640kmの海域にある586の島々から成り立っています。しかしそのほとんどが無人島で、人口は約2万人(約7割がパラオ人)のほとんどはコロール島で暮らしています。
公用語はパラオ語(西部マラヨ・ポリネシア語に分類)と英語で、通過は米ドルが使用されています。

日本の統治下に置かれた歴史

パラオは19世紀後半までスペインが統治、その後ドイツの植民地となりました。第一次世界大戦が起った際、日英同盟を理由に日本がドイツに宣戦布告し、日本は太平洋の赤道以北のドイツ領を無血占領しました。
1918年には永久支配地にするため、軍政から民政へと移行し、1919年パリ講和条約で国際連盟の委任統治領「南洋群島」として正式に統治することが決まりました。
1922年4月には、南洋群島の統治本部・南洋庁がコロール島に、支所がヤップ、サイパン、トラック、ポネペ、やルートに設置されました。日本は国際連盟から課せられた義務に基づき、島民の福祉増進を最優先に統治を図りました。その功績は、世界の植民地の歴史において、最善の統治と評価を受けています。

パラオで生き続ける日本文化

    パラオの家庭料理でもある、カレーライス。お米はカリフォルニア米が使われていました。

1914年から30年に渡り、ミクロネシアは南洋群島として、日本の海外領土(国際連盟委任統治領)となり、(グアム、ギルバート以外)日本から大量の移民が海を越えて渡り住みました。殖産興業が試され、子どもたちへの日本語教育も徹底して行われました。日本文化はもともとあったパラオの文化に融合されていったのです。
パラオ人の家庭で生活していると気づくことがたくさんあります。一つは、言葉。
仕事の後に一杯飲むことを「ツカレナオス」、靴を「ゾウリ」、トイレは「ベンジョ」、美味しいは「アジダイジョウブ」と言います。他にも「デンワ」、「バイキン」、「ダイジョウブ」、「シャシン」などたくさんありますが、これらは日本語元になったパラオ語です。
また、食事の味付けも醤油のベースが多く、親しみがわく味が多いのも特徴です。

入国スタンプは、パラオの誓約

「Which do you prefer, English or Japanese?」(日本語と英語どちらがいいですか?)

入国審査の時にワインをもらえる国があるというのは聞いたことがありますが、スタンプの種類を選べるというのは私の人生でも初めてのことでした。
これは2017年から始まった「パラオ誓約(Palau Pledge)」というもので、パラオに入国する外国人に対して、パラオの自然を保護することを誓うスタンプで、入国時には署名欄にサインをするように求められます。日本語を含む英語、中国語(普通語、北京語)、韓国語の5カ国語のスタンプがあります。
こちらがその内容↓

 パラオの皆さん、
 私は客人として、
 皆さんの美しく
 ユニークな島を保存し
 保護することを誓います。
 足運びは慎重に、
 行動に思いやりを、
 探査には配慮を忘れません。
 与えられたもの
 以外は取りません。
 私に害のないものは
 傷つけません。
 自然に消えるもの以外の
 痕跡は残しません。

 

刺身が大好きなパラオ人

コロール島の中心街にはたくさんのレストランがありますが、その多くは日本食を提供しています。ラーメンやカレーライス、親子丼など、日本人が好んで食べるメニューがパラオ人にも気軽に食べられています。その中でもパラオ人の大好物なのが、刺身!

日本人が継承したパラオの伝統「ストーリーボード」

こちらの大きなお家のような建物はパラオの「バイ」と呼ばれる集会所です。パラオには、理念的に10の氏族が存在しています。各氏族を代表するチーフたちが集い、政治的な決定をするのがこの「バイ」という場所です。現在はモダンな建物で集会が行われていますが、今でもバイやバイがあった場所で下した決定は「重く、覆すことが難しい」とされているのだそうです。
このバイの側面には口頭伝承を視覚的に表現した絵が描かれています。これをスケッチして、1枚の板に彫刻する「イタボリ」(パラオ語)の技術を伝えた人物が、ミクロネシアに1929年から42年まで滞在し、ミクロネシアの社会に関する考古学的、民俗学的論文を残した、土方久功さんです。

こちらがストーリーボードとも呼ばれる「イタボリ」。この物語は「海に沈んだジブタル」という代表的なものです。

パラオの伝統的なお土産になっているのですが、このイタボリ、刑務所に入れられている人たちが作るものでもあるのです。

こちらはその専門店。プロ顔負けの技術のものがたくさんあり、立派な値段で売られています。刑務所を出た後も、イタボリ師として活躍する人もいるのだとか。

国旗は日本を意識しているわけではない


パラオの国旗を見ると、日本の国旗を思い出して、似ているなと思う人もたくさんいると思います。

この日の丸のような国旗は、パラオが建国された際に公募し、選ばれたものだと言われています。そのため、これをデザインした人が日本を意識したどうかは定かではないのだとか。ちなみにパラオで一般的に言われているのは、丸い黄色のものは月を表し、青い部分は海や空を表していると言われています。
パラオ人は人生の催事や節目を月の満ち欠けを見ながら行うと言われており、パラオ人にとって大切な月がモチーフになっているのでは言われています。