ちきゅうの暮らしかた ERIKO OFFICIAL WEB SITE

イルリサットの家族

  • 11.25.2021
  • グリーンランド Greenland
  •  

こんにちは、定住旅行家のERIKOです。2021年9月より世界最大の島グリーンランドにて定住旅行を行っています。近年、温暖化の影響や地下資源開発、トランプ前大統領の買収発言などでしばしば注目を集めているグリーンランド。さて、ここでは約1ヶ月、西部のイルリサットと首都のヌークの2カ所にて定住旅行を行う予定です。最初の定住地イルリサットの街と家族を紹介します。

世界遺産の街「イルリサット」


イルリサットは西岸中部に位置する港町で、アヴァンナータと呼ばれる4つの地域を含む自治体の中心地であります。イルリサットは現地の言葉で「大きな氷河」の意味。この土地にある広大なアイスフィヨルドは2004年に世界遺産にも登録されています。この町は1741年にデンマーク人宣教師の一団と一緒に来ていた商人のヤコブ・セベリンが交易の拠点を置いたことに由来します。


イルリサットの人口は4,769人(2021.1.10)。ここに暮らす人の多くは、漁業や猟、公共機関、サービス業、観光業に従事しています。10月現在の平均気温はマイナス1℃~5℃。10年前であればこの時期にはすでにマイナス20度前後で海氷ができていたそうですが、近年では海もほとんど凍らなくなっています。特に今年の夏は北部で23度という記録的な暑い夏となり、年々気温の上昇が止まりません。


イルリサットの港 人びとは車よりもまずボートを優先的に購入します

グリーンランド国内には町と町をつなぐ道路がありません。そのため街や村はそれぞれ孤立して存在していており、人の往来は空路か犬ぞり、スノーモービルなどに限られています。街の規模も小さいのでほとんど人は顔見知りか知り合いです。

滞在させてもらっている家族はダビドセン一家は、お父さんのジョンさん、リザベスさんの2人暮らしで、2人の娘さんは首都のヌークに暮らしています。グリーンランドでは18歳になると成人とみなされ、親元を離れて暮らす習慣があり、それは本国のデンマークと類似しています。
お二人はデンマーク人とカラーリットのハーフです。彼らの先祖であるイヌイットというのは、「人間」という意味を持ちますが、北アラスカからグリーンランドに居住する人びとの所有団を指す言葉であり、(日本人をアジア人というのに似ています)グリーンランド人は自分たちのことを「カラーリット」(グリーンランド語でグリーンランド人を指す)とアイデンティティを表現します。

世界一長い単語を持つカラーリット


彼らが日常使う言語は、カラーリットKalaalitと呼ばれるグリーンランドの公用語です。エスキモー・アレウト語族の一つで、ラテン文字が使われ(デンマークによる植民地以降)、音素が少ないのが特徴で母音はa,i,uの3つ、子音は13つです。文法は複統合的言語と呼ばれるタイプのもので、語尾の後ろに接頭辞をつけていくので、単語がとてつもなく長くなる特徴があります。(名詞は8格取ります)またアラスカ最北の町ウトキアクヴィックUtqiagvikでは、カラーリットと極めて似た言語が話されています。
発音も特徴的で、子音は空気を口の中に含ませ音を摩擦させるような発音があります。聞いたときはアイヌ語に似ているような印象を受けました。

お二人のそれぞれの片親はデンマーク人である上、彼らの幼少期の頃はグリーンランド人がデンマークへ留学し言語と文化を身につけることが義務づけられていたため、デンマーク語も話せます。

グリーンランド国内では東部、北部、西部と話されている方言が異なり、お互いが理解するのが困難なほどの違いがあります。標準語に定められているのは、首都のヌーク、西部で話されるカラーリット語です。グリーンランド人は小学校1年から義務教育でデンマーク語を習い、テレビやメディアを通じて日常的にデンマーク語に接する機会が多いため、ダイグロシア社会(2つの言語あるいは方言が、同時に社会に存在している状態)と言えますが、現地ではカラーリット語を使用する人が圧倒的に多数派です。

ダービセン一家


ジョンさんは東部のアクトという町に生まれましたが、8歳の時に母親が従事していた看護師の仕事の都合でイルリサットに移り住みました。18歳の時、父親のアドルフさんのアルコール、女性問題が原因で両親が離婚しました。アルコール中毒の問題はグリーンランドで社会問題になっており、決してアドルフさんが特別なケースでとは言えません。彼は現在老人ホームに入居しており、ジョンさん夫婦はほぼ毎日彼を訪ねています。
ジョンさんは去年まで通信会社に勤めていましたが、定年を迎える前に自分のやりたかったことをやりたいと会社を辞めました。空いた時間があれば、洗濯、炊事、掃除などをそつなくこなし、自分よりもまず先に相手のことを考える人で、滞在中、言葉数少ない彼の行動や仕草から、多くのことを学びました。


ジョンさんが面倒を見る近所の子どもたち
ジョンさんは毎日のように、近所の団地に暮らす父親のいない2人の男の子に声をかけ、犬の世話や家の修理の仕方を教えていました。子どもたちも時間が空けばジョンさんを探し、彼らの父親のように慕っています。

お母さんのリザベスさんの名前は彼女の祖母と同じ名前です。カラーリット人は先祖と同じ名前を与えることで、その人の能力や才能、スピリットが継承されると信じています。名前をもらうと、その人が嗜好してたものを幼少期から与えたりする習慣があるようです。リザベスさんの母親はカラーリットで、父親はデンマーク人でした。彼女が生まれた時代は、漁業関係の仕事でデンマークからグリーンランドへやってくる男性とカラーリットの女性が結婚することがよくあったそうです。彼女が物心つく前に両親は別居しており、父親がクリスマスや誕生日にカードを送ってきていた記憶はあるそうですが、父親の面影はほとんどないそうです。
リザベスさんは高校を出て教師となり、今いたる25年間イルリサットの小学校で教鞭を取っています。頼りがいのあるしっかりした女性ですが、四六時中携帯電話の行方を探しているお茶目な人です。ジョンさんはそのうち「旦那はどこ?」と言うようになるのではと心配していました。

ジョンさんとリザベスさんの名前はデンマーク人の名前です。彼らが生まれた当時は、教会が認める名前しか登録できなかったそうで、当時はほとんどの人がデンマーク人の名前をつけていたました。しかし現在ではカラーリット語の名前を付ける人の方が多くなっています。

結婚という形重きを置かないカラーリットの人びと


リザベスさんが2歳年上のジョンさんと結婚したのは彼女が40歳の時。(その時にはすでに2人の娘がいました)カラーリット人は子どもや家族を持っても結婚(法律婚と教会婚の両方をして結婚とみなされます)をする人は少数派で、形に拘らず、子どもを授かり、自分たちが良い家族を築けばいいという考えを持つ人が多いです。彼らには2人の娘の2人の孫がおり(彼女らも未婚)、首都のヌークで暮らしています。毎日のようにテレビ電話でどちらかの娘と話をしています。


ヌークに暮らす彼らの孫娘

カラーリットの女性は結婚という形よりも、年齢に制限がある子どもを産むことを人生のイベントの最優先に考える人が多く、大学生ですでに子どもがいる人は当たり前のようにいます。またパートナーと別れたり、離婚したとしても、親権が片親にいくことはなく両方の親に育てられます。両親それぞれに新しいパートナーができると、4人の保護者に守られさらに豊な人間関係が生まれると考えられています。

              ミニック(左から2番目)、ミニックのパートナーアンナさんと娘トゥクンマちゃん

彼らには産みの子でない育ての子がいます。ミニックは母親を幼少期に亡くし、父親はアルコール中毒の問題を抱えていて育てられる環境ではなかったそうで、ジョンさんとリザベスさんが里親となり我が子のように育てたそうです。ミニックは立派な大工となって自立し、現在家族を持ち、一人娘がいますが(未婚)、週に数回ダヴィドセンさんの家を訪れ、食事や話をしたりして、本当の親子のような関係を築いています。

カラーリット人の信仰


イルリサットの日曜日の教会
グリーンランドではルター派のプロテスタントが信仰されていますが、植民地化される以前は、シャーマニズムが信仰されていました。その昔は「アガッコ」と呼ばれるシャーマンが存在し、病気や不猟から人びとを助けていました。そのためかグリーンランド人は霊の存在を信じる人が多く、霊媒師を職業としている人もいます。


                                教会では毎週ミサの後に洗礼式が行われる

ダービセン夫婦はキリスト教の洗礼を受けていますが、日曜日に教会へ行くことは少なく、ラジオから流れるミサを聴きながらその時間を過ごしています。

グリーンランドの一部には、キリスト教が持ち込まれたことにより、イヌイットの独自の信仰が阻害されてしまったと考える人もいます。首都のヌークを設立したことで有名なキリスト教の宣教師ハンス・エゲデの像は、度々彼らによってペンキで塗り付けられるという事件も起こっています。

植民地の歴史がつくった民族衣装


こちらはカラーリットの女性が身につける民族衣装カラーリスッツKalaallisuutです。結婚式、洗礼式、クリスマス、教会へいく時の正装、葬式などに着用されます。服と靴のほとんどの素材はアザラシの皮で作られており、薄着ですが大変暖かいです。胸の部分のビーズの装飾は約1kgもあります。
ビーズは1000年以上前から北極圏で使われてきました。昔は骨や歯、小動物や魚の椎骨で作られており、形も円形や楕円形、動物の形(アザラシ、シロクマ、鳥)などさまざまで、お守りとしての機能もありました。1700年代に現在のような小さなビーズが植民地化と共に持ち込まれ主流となりました。ビーズが持ち込まれた当時は、服とは別々に用いられていましたが、次第に服の装飾として縫い付けられるようになり、ビーズの数で家庭の経済状況も見てとれることから、ステイタスシンボルでもありました。


こちらは男性用の正装です。女性と比べると、色も白と黒で大変シンプルです。アノラックと呼ばれる上着のパーカーに、綿素材のトラウザーのパンツを着用します。靴はカミックと呼ばれるアザラシの皮でできており、ブーツの上白い部分はシロクマの毛で装飾されています。


初めて見た時は巨大な動物が現れたかと思い、悲鳴をあげてしまった私ですが、こちらの服は男性が冬場犬ぞりや猟などに出かける時に着る装いです。アノラック(上着のパーカー)にシロクマの毛皮の半ズボン、アザラシのブーツで、ジョンさんのお母さんが作ったのだそう。近年は温暖化の影響で冬場にこれを着る機会もめっきり減ってしまったそうです。

ビーズはスピリットホールの象徴

寒冷地の極北で人間が生き残れた理由の一つが針と糸、つまり「縫うこと」であったというのはよく知られていますが、イヌイットの人たちにとって縫うことは、身体を守ること=生きることに直結していました。現在でもカラーリットの女性は、親から縫い物や編み物を習って育ちます。この衣装はリザベスさんのお母さんが作ったもので、これらは家宝として後世に引き継がれていきます。

このビーズにはイヌイットの人たちの価値観を理解するための深い意味があります。彼らにとって「穴」は食料とするアザラシや鯨が呼吸を行う器官であり、スピリットが通る場所とも言われています。穴の開いたビーズを身につけることは、悪いスピリットを通過させていく意味合いもあるのだと言われています。またや肌に針を通すタトゥーもその一つと考えられるでしょう。
カラーリットの民族衣装は、昔からの伝統と植民地の歴史によって作られたものです。民族衣装に身を包んだ家族の顔は、どことなく民族の誇りに満ちているように見えます。

ダビドセン一家はとても穏やかな家族です。ジョンさんの優しく我慢強い性格と、リザベスさんの細かいことを気にしない前向きで明るい性格が日常の余計な衝突を生みださない気がします。
「大きな子どもができたわ」と家族として受け入れてくれた彼らと日々充実した暮らしを送っています。

◎文化人類学者 岸上伸啓先生の著書「イヌイット」