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世界一巨大なコーランがある、タタールスタンイスラムの聖地「ボルガル」

こんにちは、モデル・定住旅行家のERIKOです。
私が定住旅行している国、タタールスタン共和国では、イスラム教のスンニ派が信仰されています。ロシア=ロシア正教というイメージが強いですが、実際には、イスラム教、シャーマニズム、仏教など様々な宗教が混在する多様な国です。タタールスタンも例外ではなく、その他にもチェチェン共和国、ダゲスタン共和国、バシコルト共和国など、ロシア連邦内にある共和国の多くの国がイスラム教を信仰しています。

イスラムがタタールにやって来た土地、ボルガル 


「アッサラーム・マレイコム」(アラビア語でこんにちは)と挨拶を交わすムスリムのタタール人をよく見かけます。

タタールスタンに初めてイスラームが流入したのは、922年ボルガ・ブルガリアの時代。バグダードから922のカリフの使節を通じて伝えられたと言われています。(それ以前はテングリという宗教が信仰されていました)
当時この土地を支配していた、ヴァルガ・ブルガリアの王(ハン)がイスラムを受容し、最北のイスラーム国家となった歴史を持っています。タタールスタンでは毎年5月21日は、イスラム受容を記念する祝日となっています。

こんな伝説を家族から聞きました。

”村に病気になった若い娘が住んでいたところに、ある時カリフの使節がやって来た。枯れは娘の病気を完治させると言って、お祈りを初めた。何日かすると娘の容態は次第に良くなり、完治した。それを見た村の人びとはイスラム教に改宗した”

このお話の舞台になった場所、つまりタタールに初めてイスラム教が伝わったのが、首都のカザンから300km南に位置しているボルガルという街です。

タタールスタンのイスラム

この土地は13世紀にはモンゴル系のジョチ・ウルスの支配下となり、最初の首都となりました。16世紀中頃、ロシアにこの地域を支配されると、人びとのロシア正教への改宗政策が行われました。しかし、実際の改宗は名目だけで、以前と同じように伝統宗教に基づく生活を行っている人も多くいたようです。
そして、18世紀に入ると改宗政策が強化され、モスクの撃ち壊しなども行われましたが、エカテリーナ2世が即位すると、イスラムはキリスト教と同等のものと認められました。

私自身イスラム教の国に滞在した経験は、イランしかありませんが、女性のヘジャブやマントの着用などが定められていて、公の場での規則に厳しいイメージがありました。
一方、タタールスタンでは、どのようなイスラム生活を送るかは、各個人や家族によって異なります。ヘジャブを付ける人もいれば、着用しない人もいるし、お祈りもできるときにやる人もいれば、必ずやるという人もいます。

こちらは昔のムスリマのタタール人の写真です。髪をヘジャブで覆っていないのが分かります。タタールのムスリムは、タタール独自の文化と混じり合っていったものだと考えられます。

タタールスタンのメッカ


ボルガルが重要な町というのは決してイスラム教徒にとってだけではありません。この場所は、10世紀前後にタタールスタン領を含む、ヴォルガ地域を支配していたヴォルガ・ブルガリアの首都でもありました。
ボルガルはタタール人でメッカに行くことができない人たちが、巡礼に訪れる場所でもあります。


2014年には「ボルガルの歴史的考古学的遺産群」の名称でユネスコの世界遺産に登録されています。ここには、ボルガ・ブルガル人が築いた遺跡跡を見ることができます。この街はボルガ・ブルガリアの交易、政治、文化の中心地でした。

カザンからボルガルまでは、バスでも行くことができますが、オススメなのはクルーズ船です!
ロシアの母なる川と呼ばれる、ヨーロッパ州最長3,690kmのヴォルガ河を下りながら、2時間半でボルガルに到着します。海にも見えてしまうほど、幅の広い大変大きな河ですが、多くの芸術家や文化人が様々な感情をこの河に寄せています。

ヴォルガ川にまつわる絵画で、ドフトエフスキーが高く評価した、レーピン作の「ヴォルガの船曳き」はとても有名です。(サンクトペテルブルクのミハイロフスキー宮殿で観ることができます)

世界1大きなコーラン

イスラム受容メモリアルタワーの中には、ボルガルのイスラム教の歴史とゆかりのある物などが展示されています。中でも最大の注目は、ギネスブックにも認定された、世界最大のコーランです。

カテドラル・モスク


ここのモスクの跡地はボルガルで一番古い建造物です。1260年のモンゴルに支配された後建てられました。この遺跡が見つかったきかっけは、ピョートル3世とやエカテリーナ2世が訪れた時に、彼らが遺跡の発掘・調査を命じ発見されたと言われています。
光塔(ミナレット)の高さは32mで、13世紀特有の作りになっています。この塔には言い伝えがあり、塔の階段を登った数だけ、罪が許されると言われています。

大浴場跡

こちらは16世紀に建てたれた公衆浴場として利用されていた場所です。石灰岩と煉瓦で作られたことから、「白の館」と呼ばれています。このハマム(浴場)では、社交場としての機能を果たしていたようで、ビジネスの商談なども行われたりしていたそうです。この建物は、ボルガル建築の傑作と言われています。

白のモスク

インドのタージマハルをモデルにて作られたこのモスクは、ジョチ・ウルス時代(ザラタヤ・アラタ)の13世紀に建設されました。現在のモスクは14世紀に行われた大規模な改修工事後の姿で、原型を留めているのはほんの一部だそうです。


建築物も素晴らしいボルガルですが、私の心を捕らえたのは、何といっても雄大なヴォルガ河とロシアの草原の風景です。乾いた風の中にこれから一層色濃くなる草木の香りが漂う中、ロシアのイメージが私の中でさらに膨らんで行くようでした。